東方では、国家がすべてであり、市民社会は原生的でゼラチン状であった。西方では、国家と市民社会の間に適正関係があり、国家がぐらつくと、たちまち市民社会の頑丈な構造が姿を見せた。国家は第一線塹壕にすぎず、そのうしろには要塞と砲台の頑丈な系列があった