彼は政治的アナーキストよりもダダイストにずっとよく似ているのであるが、このダダイスト同様、彼は「どんなプログラムももたないだけではなく、すべてのプログラムに反対〔なのである〕」。―しかもときには現状の、あるいは彼の論敵の、最もやかましい擁護者になるだろう―つまり「真のダダイストであるためには、われわれはまた反ダダイストでもなければならない」のである