存在との関係は、他なるものそれ自体との関係ではなく、〈他〉の〈同〉への還元なのである。まさに、これが(...)〈他〉の抑圧ないし所有である。所有はたしかに〈他〉を肯定しはするが、〈他〉の自存性の否定のただなかでそうするのだ。「私は考える〔=われ思う〕」は「私はできる」に─存在するものの我有化に、現実の搾取に─帰着する