信仰(信念)は内的なものであり、認識は(外的な手続きによって確証しうるという意味で)外的なものだ、というのが一般的な定式であるが、むしろ、信仰こそ根本的に外的なものであり、人間の実用的・現実的な活動の中に具現化されているのだ