一般論理学は、ほんらいは判断を下すための基準にすぎないのに、あたかも学問の道具ででもあるかのように扱われてきた。そしてこの学は、客観的な主張を実際に作りだすために利用されたり、少なくともそうした外見をそなえた〈まやかし〉を作りだすために利用されたりするのであり、実際にそのような目的で濫用されてきた。このように学問の道具と思い込まれた一般論理学は、弁証論(ディアレクティーク)と呼ばれる