リベルタンが、このようなペシミズムと決別しようとするのは、ようやく十八世紀も近づいたフォントネルにおいてであり、この決別を可能にしたものは、「進歩の思想」と呼ばれる思想であったのだが、そのフォントネル自身にしても、まだ進歩を確信しない初期の作品群では、やはりリベルタンの伝統に忠実に、ペシミスティックな人間観を披瀝しつづけるのである