プロレタリアートがこれまでの世界秩序の解体を告知したとしても、それはただ自分自身のあり方の秘密を表明しているにすぎない。なぜなら、プロレタリアートはこの世界秩序の事実上の解体であるからである。プロレタリアートが私有財産の否定を要求したとしても、それはただ、社会がプロレタリアートの原理にしたものを、すなわちプロレタリアートが手を貸すまでもなくすでに社会の否定的帰結としてプロムタリアートのうちに具現されているものを、社会の原理にまで高めているにすぎない。