プラトンとはちがって、あらゆる他性を取り除いた純粋な同一性形式ではなく、悪意をもって侵入してこようとする外的要素すべてを取り除いた純粋な内面性形式を探し求めているのだ。同じことは現象学的還元にもいえるだろう。いったん自然主義的な前提を取り除いたうえで、「純粋内面性の心理学」としての超越論的自我論を構成しようとするのだ。ここで同じく重要なのは、こうでもしなければ見えないままであり続けるもの-生きられた経験の本質の本源的世界-を見させるための平面を描きだすことである