ジャリ
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パタフィジックの定義
パタフィジック〜とは、形而上学そのものの内であれ外であれ、形而上学に付帯するもののの科学であり、形而上学が自然学の先へ展開しているのと同じだけ形而上学の先へ展開しているのである。
ここでいう「付帯」は、手前に「副現象とは、現象に付帯するもの」とあるゆえ、形而上学の「副現象」の科学が、パタフィジックなのではなかろうか??つまり「形而上学の先へ展開している」形而上学の「副現象」の科学こそパタフィジックなのである。これは下記引用にある「副現象はしばしば偶発的なものであるから、パタフィジックは〜個の科学」という言明が補完しているように思える。
副現象はしばしば偶発的なものであるから、パタフィジックは、普遍の科学のみが科学であると言われていようとも、とりわけ個の科学となろう。パタフィジックは、例外を支配する諸法則を究め、この世界を補足する世界を解明せんとするものである。
ここで言われている言明は下記のように整理できるのではないだろうか。「普遍の科学」が客観的な世界を探究するものであり、「個の科学」(パタフィジック)はそうした一般の科学とは異なり、「偶発的」な「世界を捕捉する世界」を解明するものである。これは先程の論を用いて補完するのであれば、形而上学の「副現象」が「偶発的」な「世界を捕捉する世界」であるということだと言えよう。そしてそれは「例外」的な「個」を解明せんとする科学なのである。そして「普遍の科学」の曖昧さについて批判する。
現行の科学は帰納法に基づいている。つまり、大部分の人間は、ある現象が大概べつのある現象に先行ないし後続するのを見てとって、そこからつねにそうなると結論づける。先ず、これは大概しか正しくないし、ひとつの観点に依拠しているにとどまり、便宜性に従って体系化されているとも言えるが、それすらいい加減なものだ!
そしてジャリはパタフィジックを下記のように定義する。
定義:パタフィジックとは想像力によって解決する科学であり、じしんの潜在性によって描き出される対象の諸特性を、その輪郭と象徴的に一致させるものである。
引用の後半部分、「輪郭」という言葉に注目しよう。パタフィジックは対象を実質においてではなく、その輪郭、すなわち基本的なアウトラインにおいて把握する。輪郭を軸としつつ、想像力によって対象の可能態を展開してゆく、それはいわば幻視の方法論なのだ―「伝統的世界に代えてわれわれが見ることのできる、そしておそらく見ているはずの」補足的世界を描写するための。(引用) 上記、原野の解釈を織り交ぜてパタフィジック概念を整備していきたい。まず“輪郭を軸としつつ、想像力によって対象の可能態を展開してゆく”ことは、それによって「対象の諸特性」を明らかにすること、同時にその「輪郭」それ自体と「対象の諸特性」を「象徴的に一致させる」ことが目的である。だから「想像力によって解決する」と言われるのである。
これを先程の解釈と連結させると下記のようになるのではないか。パタフィジックとは「個」において「世界を捕捉する世界」の「諸法則」である、「偶発的」な形而上学の「副現象」を解明するべく、「想像力」を用いて「対象の諸特性」と対象の「輪郭を象徴的に一致させる」こと。
/icons/hr.icon
/icons/bard.icon パタフィジックと現象学
帰納法を拒むこと
「対象の諸特性」と対象の「輪郭を象徴的に一致させる」こと(→現出者と現出??)
現象に付帯する副現象という表現も、存在者に付帯する存在、現出者に付帯する現出なのではないか??
「個」(主観)において「世界を捕捉する世界」(→実在世界を捕捉することで認識される生世界)の「諸法則