ギリシャ悲劇
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オイディプスのミスリードと盲目、イオカステとクレオンの聡明さ、羊飼い/羊番の利己的/利他的な対応関係と別個の人間らしさ、素晴らしい
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美しい青空の中に青銅の屋眼をもつ教会の塔が花咲いている~無題の詩から取られた詩句。詩入ヘルダーリンは「オイディプス王」を翻訳し、 添えて作品への注釈を書いているためそこから推測する。
オイディプスは神託の意味をあまりにも無際限に解釈する
疫病と飢餓という危機に際して、クレオンを遣わし神託を受けた
この地に培われた国の汚れを追及すべきである。 癒しがたいものを養ってはならない
注釈によればこの解釈は「公平に裁け、 厳格で濁一りのない裁きを行え、市民的な良い秩序を維持せよ」程度の一般的な命令であり、オイディプスが性急に拡大解釈したのである。
このようにして、 神託と、必ずしも神託の内容には属さないライオスの死の一件とが結び合わされる。 そしてこの直後の場面ではオイディプスの精神は、 激怒を帯びた予感によって、すべてのことを承知しつつ 、 結局は非道なことを語り出す。 すなわち、 彼は一般的な命令を殊更に邪推して個別的な命令であると解釈して、 それをライオスの殺害者に適用し、 さらにその罪をも無際限に大きいものと解するのである
この精神性は大抵の人々の見方や考え方といったものを越え、 また神意の定めた限界さえをも越え、神に対し非道なものとなるをもいとわずに知ろうとすることなのである。このような「精神」の在り方は劇の進行にともなっていよいよ明確になっていく。 「激怒を帯びた異常な好奇心」にかられ、オイディプスの「知ろうとする意欲」はあらゆる制約を突き破り、「自分が担いうる以上のものを、捉えうる以上のものを知ろうとする」 まさにこのように一切を詮索しようとすること、一切を解しようとすることこそが、 彼の精神がついに下僕たちの粗野で単純な言葉に倒れるということをも招来するのである。このような人間は暴力的な境遇にあるがゆえに、 その言葉もほとんどFuriaeのように憤激した調子でもって、 つまり一層暴力的な脈絡でもって語るのである 上記解釈はつまりFuriaeのような罪を罰する立場を、暴力的な境遇と表現し、それらが加速する様を表現しているのでは(→激怒を帯びたに繋がる??)