キリストは、聞いたことをまるで聞かなかったかのように放置した。なぜなら、彼は医者であって、狂乱した者を癒すために来たからである。すなわち医者は病人の言うままに処置するのではなく、病人が回復し健康になるようにする。また病人から打撃を受けても何ら顧慮せず、彼に新たな傷をつけてでも、古い熱を癒す。それと同様、神は、自らが聞いたり蒙ったりするであろうことは蔑ろにして、病人のところ、正気を失った人のところにやってきた