カンギレム
『科学史・科学哲学研究』
フォントネルについて
フォントネルは、真実を確立することの諸条件は歴史主義的に進歩するという結論を下す。(...)逆説的な手段で歴史の意味を正当化した(...)知的進歩を基礎づけるために、フォントネルは(...)、パスカルのように、文化の栄えたあらゆる時代は、一人の人物、つまり想像力の魅力に従順な幼年期を終えて成年の域に入ったばかりの人物にたとえられる、と考えていた。しかし比較はそこで終わる。「
私はこの人物が決して老年期をもたないだろう、すなわち人類は絶対に衰退しないだろうし、あらゆる良き精神の健全な見解は受け継がれて、常に次々とつけ加わっていくだろう、と認めざるを得ない
」とフォントネルは言う。これで分かるように、仮にフォントネルが幾つかの観点において、
コント
の理論、精神の三段階の法則が個人と人類とにおいて対応するという説、ならびに、科学的すなわち実証的時代の決定的な性格に関する説を先取りしていたとしても、ヘーゲル的なものであれ、マルクス的なものであれ、より弁証法的な歴史哲学ならば彼に投げかけたい質問がいろいろあることだろう。
この史的楽観主義は、文句なくフォントネルが創始し、直ちにある種の完全な形を与えた活動分野に絶え間なく霊感を与え続けている
。
このように、フォントネルは非常に楽観的な人間精神の進歩史観をもっている。
『古代人と近代人についての余談』
にて古代人も近代人も本性上変わらないことを指摘したうえで「
私はこの人物が決して老年期をもたないだろう、すなわち人類は絶対に衰退しないだろうし、あらゆる良き精神の健全な見解は受け継がれて、常に次々とつけ加わっていくだろう、と認めざるを得ない
」として、人類を老年に達することなく無限に進歩する一人の人間に例え、近代が有している科学に完成はなく無限に進歩しつづけると主張するフォントネルは進歩主義の体現者と言えるだろう。
ここで留意する点は、近代を称賛するがためではなく、経験や知識の蓄積によって必然的に近代のほうが優位に立ってしまうだけであって、ゆえに自分たちもいずれ古代人になると考えるのだ。