アーレント
1951『全体主義の起源』
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全体主義はアトム化によってヘゲモニーの提唱した虚構の共通善に踊らされ、全体の利益に帰属された。
世界疎外に陥った民衆は帝国主義の大義としての優生思想によるスケープゴートとしてのユダヤ人を迫害し、ホロコースト等へ繋がった。
1969 『文化における危機』(引用)
政治的判断力と同様、美感的判断力においても何らかの決定が下される。たしかにこの決定は、つねに一定の主観性によって規定されている。しかしこの決定は同時に、世界そのものが普遍的な所与、すなわち、そこに住まう者すべてに共通のものであるという事実を拠りどころとするのである。趣味という活動様式は、この世界が、その効用とそれにわれわれが抱く重大な利害関心から切り離して、どのように見られ聞かれるべきか、人々が今後世界のうちで何を見、何を聞くかを決定するのである。
美的判断批判における共通感覚/拡張された思考様式/主観的な普遍妥当性に代表される概念は上記のように≒政治的判断である。
美は公的意味を帯びる、政治的判断も美的判断も主観により世界を眺め判断するという意味で客観的な与件、すなわちそこに住まう人々にとって共通のものだ。
1978『精神の生活』
反省的判断について
判断力とは、特殊なもの(particulars)を一般的規則に包摂することなくして判断できる能力である。〜特殊を判断できる能力は(カントが明らかにしたように)「これは間違っている」とか「これは美しい」とか言える能力であって、思考する能力とは別物である。思考は不可視のものを扱い、目の前にないものを表現しようとする。判断はつねに特殊なもの、身近にあるものに関わる。
1982『カントの政治哲学講義』