しかし、それがそもそも瓦礫の山ではなく廃墟であるかぎりは、この自然の力といえども、作品としての建物を、なんの形式ももたない単なる物質にしてしまうわけではない。そこには、自然の側の立場からすればきわめて意味深い形式、納得のゆく、洗練された一つの新しい形式が生ずる。すなわち、かつて芸術が自然を素材として利用したのとちょうど同じように、今度は自然が芸術作品を、みずからの形式のための材料とするにいたるのである