こうした聖人の手助けを得られると期待できるのは、彼ら専用の教会で九日間祈禧を行い、鉄やそのほかの鎖でつながれた自分以外の病人の傍らで互いに邪魔し合う場合に限られる。もしこの九日間祈禱の代わりに医師の助言に頼ったりすれば、聖人の助けが否定されたり、邪魔されたり、遅らされると愚かな俗衆は判断する。実際、信仰とは神や聖人の力を感じなければならないということであり、聖人は医師と医師の業に嫉妬している