こうした原理的可能性は、用心するに越したことはない。月までステンレス製の梯子をかけることも、はたまた千語以下の単語からなる意味の通った英語の会話を、アルファベット順に残らず書き出すことも、原理的には等しく可能である。しかし、どれも実際には少しも可能ではない。実際の不可能性が、原理的可能性よりも理論的に興味をそそる場合がときにはあるのだ