かくてその一方の部門は自然の哲学、他方の部門は倫理の哲学でなければならない。そのうち第一の部門は経験的な原理も含むことが可能であるが、第二の部門はたほう(自由は端的に、経験のどのような対象でもありえないから)純粋なア・プリオリな原理のほかにいかなる原理もだんじてふくむことができない