「真理とは、ある種の生けるものが生きていくうえで欠くことができない、そういう種類の誤謬である」。しかし(...)この誤謬を拒絶することはできない。(...)というのは、その誤った判断を放棄することは生を放棄することになるであろうからであり、「不真理を生の条件として認める」のでなければならないからである。生を促進する誤謬は、そういうものとして真理なのである