「アソシアシオニスト」を何かただちに「反国家」主義的と見たり、アソシェーションを社会範躊として、政治範としてのデモクラシーに対立させたりするのも、たしかにひとつのアソシエーション理解ではあるが、そういう理解のみを尺度にしてマルクスを「切る」とすれば、それは外在解釈であるという意味で支持できないだろう