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我々はBlind Plutusの名の下、資本主義という暴君に抗うための解放の武器を探す旅に出た。そして、その長き巡礼の果て、我々を待っていたのは、信じる心とその思いが力となる理念の結晶—セキュリティである。かの存在こそ一神教的資本主義の夜を終幕させる黎明の光であり、信仰経済を組織し、多神教的な資本主義世界への大転換を樹立する希望の武器である。本文はコモディティからセキュリティへ、その理論と未来を素描する論文である。
「近代」
時代は一九世紀へと遡る。神の威光降りすさぶ封建主義の地平、そのヴェールに身を包み、権力を振るう王とその臣下。そして、周縁で救いと信仰に仰ぐ人民。こうした幾世紀をも画する近代、その到来を決定づけたのは神の死と資本主義にある。
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「神の死と資本主義の歴史的特質性」
如何なる共同体も父なる政治が形を与え、母なる経済が命を与える。秩序と循環、その結合こそ、我々人類の住まう「社会」である。かつて社会とは、神話と宗教が人々を縫い合わせることでその骨格を築き、贈与と再分配が血潮として人々を巡ることでその乏しい生を潤していた。だがわずか一世紀にして、幾千年と人類社会を支えてきた政治と経済の双柱は崩壊する。人間の温もりのうちにあった経済は青ざめ、替わりに交換という人称性を欠いた無機質な論理が露出し、骨格を失った社会は、もはや中心を保てず、人々は結び目を解かれた糸のように解体された。かくして個人主義的で、合理主義、そして機械的な世俗経済が到来する。ゆえに神の死と資本主義とは、人類史のなかで近代とそれ以前を完全に分断する、我々が初めて直面した歴史的大転換を意味するのだ。
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「神の死と資本主義の共犯関係」
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「神の死と資本主義の論理」
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「商品化のオルタナティヴの必要性とその条件」
つまり我々は商品化のオルタナティヴを生み出さなければならない。しかもそれはそうした価値の還元を行わない、多様な価値の純粋な表現であるべき。
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「セキュリティというオルタナティヴ:スペクトラムの整理」
それがセキュリティの織りなす信仰経済。
世俗経済では商品が中心
信仰経済ではセキュリティが中心
Commodityは価値の相対的な比較
Securityは価値の絶対的な信仰
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「セキュリティへの偏執的なパースペクティヴに対する応答」
世俗世界から見れば宗教が虚構であるように、世俗経済から見れば信仰経済は虚構の経済である。
しかし、それは神の死と連動した資本主義の論理である。
実在性や実用性などの価値判断が優位になったのは、ここ300年前後の話
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「一人一人の思いが力になるという地平」
相対的な競争ではなく絶対的な競争で価格が決定する(宗教の拡大のメカニズムと一緒)
意志の力
信じる思いが力となる
信念の経済
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「神は復活する、多神教的資本主義、そのためにセキュリティという武器を取れ!」
資本主義の多神教化、多神教的資本主義
Take up Security, God is returned.