存在論
誰だって孤独だ。誰だって虚ろだ。生ほど不条理なものはない。生まれたくて生まれた訳じゃない。我々は望まぬ生を不可抗に賜った。才覚に恵まれ、経済的に富み、有り余る幸せを享受した者でさえ生の起源に例外はない。こうして求めずして途端に始まった生には、不可逆性という宿命が科されている。生は恣意的に始まったにもかかわらず終わるには苦しみが伴う。無から生まれたはずなのに、その故郷へ帰化することに恐怖を憶える。敢えて盲目になり刹那的に生を演じることのできる者以外は、「生きている、生きるが故に。死ぬ、何ものでないが故に。なぜに心ならずもあたえられた光明を失わねばならぬのか、それが失われた後に、何を悔やむことができるのか。存在しなかったとき、わたしは不幸だったのか」(Cyrano 1654) などと非存在を想起し、反出生主義への思弁を募らせることを理性に強いられるだろう。ここで更に悲劇的なことは反出生主義の成就が不可能性のさなかにあることだ。それは反出生主義ゆえに一世代で潰え、淘汰され、時に闇に葬られることにある。現代に反出生主義的潮流をまきおこしたデイヴィッド・ベネターでさえ次のように嘆く。「存在してしまうことは常に害悪であるという見解はほとんどの人の直感に反する。(...)人類絶滅は害悪の総量を大いに減少させるだろうが、人類は自分から絶滅はしないだろう。残った感覚のある存在者は苦しみ続け、感覚のある存在者が存在してしまうことは以前として害悪のままで変わらない。(...)存在してしまうことは常に害悪であるという結論を、多くの人が喜んで受け入れてくれることはないだろう。多くの人が子どもを持つのを止めることも全然ありそうにない」(Benatar 2006)。こうして我々は生物学的な直感だとか淘汰だとかの理に支配されていることを再認識するのだ。また我々は誰しも生を授かったときは無意味であるはずなのに、奇しくも子供を産むことには意味を見いだせてしまうことも非常に残酷である。生とはこの意味で内からは止められない不可逆な連鎖を運命づけられている。そのために我々がすべきは、親とそのまた親といった果てしなき怨嗟を吐くことにもない。我々に同じく、悲劇的に生をうけた彼らが抱く「子どもを産む意義」やその自由を毀損する権利など、どこにあろうか。不条理に生が始まると同時に不可逆性を背負わされた我々を、さらに虐げ抑圧する道徳など道徳的であるといえるのだろうか。
人間というものは、それ自身もともと不幸なもの(...)だとするならば、同胞に対して少しは寛大に扱ってやってもよいのではないでしょうか?そうでなくてもいろんな重荷を負っているのに、さらにその上に、ほとんど無益で、滑稽な、自然に反する軛を負わさなくても、よかりそうなものではありませんか?(Sade 1793)
われわれは摂理に蹂躙されてもなお必要以上に強く道徳的であろうとし続ける愚かな人間にカント主義の解毒剤を渡したい。アルベール・カミュは「人生の意義(...)においては、精緻な学識にもとづく教壇的弁証法は、良識と共感との両者から発するより謙譲な精神の態度に席をゆずらねばならぬことがわかる」(Camus 1942) としたが、この一説こそ道徳性を追い求めた反出生主義の失敗を象徴しているだろう。反出生主義の祖であるショーペンハウアー自身が「ご馳走をいっぱいならべた食卓につきながら自殺を讃美していた」ように、「人生を拒否するにいたるほどまでに自己の論理をつらぬ」けなかったのがなによりもの証明である 。重要なのは―サディアス・メッツがベネターを批判したように―直感的に「到着したくない場所へ私たちを連れてゆく論証の列車から、適切な理由でもって降りることができるのはどの地点か」(Metz 2011)を如何に見極めるかである。そこで、我々が提起するのは不条理に始まったこの世界を、万人が人生を謳歌し、如何なる自由をも解放できる―と同時に秩序だった―世界につくりかえることであり、この手段こそ全人類を救済する唯一の手段に思える。悲劇的な枷とともに生まれてきた人類には、せめてもの救いとして最大限自由に自らが望む生をおくる権利があるはずなのだ。即ち、もうこれ以上なにものも奪うべきではない。『閨房哲学』からつぎはぐならば、「人間というものは、ただ自然の不可抗的な計画によって、この世に生まれてきたものにすぎず、(...)地球の存在によって必然的に生じた単なる一つの産物にすぎない」。それゆえ「人間としてこの悲惨な世界に自分の意志とはかかわりなく投げ込まれた不幸な人間が、茨の人生のうえに薔薇の花を咲かせるためには」 (Sade 1795)。こうした生の残酷なるプレリュードがあってはじめて、〈絶対的自由〉という原理が時を越えて再び顕現する。逆説的に人類が原初に不条理なる生を賜ったことは、せめてそれを満足にまっとうできる世界の創造が幾世紀も前から要請されていたことを意味するのだ。冒頭の問いのすべては答えられそうにないが、少なくとも我々は自由な社会にむかう道理があると断言したい。それは悲劇的な生へのせめてもの報いとしてである。〈絶対的自由〉とはこの意味で憐れな生からさらに自由を剥奪し、抑圧をかけようとする伝統的道徳主義者より、よっぽど道徳的であるといえるだろう。
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我々人類は皆酷く残酷な生の原理から始まるゆえ、せめてもの救済として自らが望む生を謳歌する自由がある。そしてそれを毀損する権利など、本来誰ももちあわせてはいない。この論理の道徳的基礎づけとなる〈絶対的自由〉は、リベルティナージュ的還元を完成させたことで、アルフォンス・フランソワ・ド・サドが至ったフランス近世思想の極致である。ではリベルティナージュはいつに始まり、如何なる変遷のもとにサドのもとへ漂着したのか。そしてその果、彼は非情なるこの世界になにをみたのか。時は十七世紀に遡る。それは、空席となった近世思想の玉座を占拠すべく―前王カトリックの復権を志す者或いはそれに反旗を翻したプロテスタントのみならず、イタリア自然主義者、エピクロス主義者、懐疑論者、汎神論者、理神論者、無神論者などの―数多の思想が駆け巡る動乱の時代。そこには豪華絢爛たる太陽王黄金期が迫るにつれて、日々高まる言論統制へ迎合した様を装いながらも、華々しきヴェールの裏で衆目を避けて集い、反教義的理論を深化させる者たちがいた。彼らが有する医師、碩学、弁護士、東洋学者、司教、大使、領主、司法官といった千差万別なコンテクストが織りなすシンフォニーは、来たる世俗化と啓蒙主義の播種となる批判精神を涵養する。かくして、時代と社会の支配的通念や規範、権威にとらわれずに、文献的博識に立脚した多彩でラディカルな批判精神を以て、キリスト教のオルタナティヴを構想する知的文化こそ「学識的リベルティナージュ(Libertinage érudit)」である (Pintard 1943)。一六世紀的な敵対的で不寛容な宗教的内戦とは対照的に、学識的リベルタンが偽りの遵法精神を公衆に示すのは、―リヴァイアサンによる消極的効力ではなく―毅然とした理念に基づくものである。学識的批判精神は対象の真偽に留まらず、その有用性を検討の範疇に組み込むことで、宗教の齎す政治的な安泰と平穏を訴えた。その理論的支柱は―ガブリエル・ノーデやギー・パタンといった学識的リベルティナージュの主導者に多大なる影響を与えた―『七賢人の対話』であり、本書は宗教の政治的有用性に留まらず、ナントの勅令―信仰の自由―を絶対的なものへ昇華せんと試みる学識的リベルティナージュの記念碑的書物である。『七賢人の対話』では各信仰体系を代表するカトリック、ルター派、カルヴァン主義者、ユダヤ教徒、イスラム教徒、理神論者、そして無関心派の七賢者が一堂に会す。彼らが展開する多岐に渡る議論を通じて幕引きに宿る、政治的迎合主義に立脚する宗教的寛容或いは相対主義は、社会秩序が為に衆目を避けて自由な論議を営む、学識的リベルティナージュの倫理そのものであった。フランソワ・ガラースは前掲したような、政治的迎合主義に立脚する宗教的寛容或いは相対主義者たるリベルタンの肖像を、以下のように叙述する。
「イスラム教徒もいれば、異教徒もいれば、キリスト教徒もいて、異端者もいる」、だからどうだと言うのだ。(...)人間の大多数を構成するのは愚か者だが、リベルタンは「卓越し、並の人間を越えた精神の持ち主」である。この強き精神(esprit fort)の持ち主たちは、信仰の絶対的自由、全面的な自立を要求する。「人間精神は生まれつき自由で、束縛をまぬがれている」と彼らは主張する(Minois 1998)。
学識的リベルティナージュは、信仰の〈絶対的自由〉に基づいて、長きに渡り封印された数多の思想を再び光(Lumières)のもとへ導き、その豊穣なる地に新たな命を吹き込み、さらなる高みへと耕した。こうしてルネサンスは啓蒙へと架橋され、新時代の萌芽は近代を準備する。然れど、それはなにも喜ばしきことではない。なぜなら学識的リベルティナージュによって培われた批判精神の結晶は、人類を真理へと導く対価に絶望へと誘う禁断の果実だったのだ。宗教はすべての死生に意味、当為、起源、行先を以て希望を示す。たとえそれが酷く脆い救済であるにせよ、信じる者は救われる。しかし、叡智は退行を許さない。ゆえに真理を獲得し、キリスト的救済が不能となった失落者達は、皮肉にも自らを不幸に戒めた批判精神に基づき、新たなる救済を探らねばならなかった。〈救済の不在〉は、人類に死の恐怖或いは生の耐え難さを幾度なく突きつける。リベルタンの王、デ・バローの嘆きはそうした当時の悲壮を象徴する。「泣く、うめく、苦しむ、弱い者も強い者も、不確かな人生の運命の流れるままに、どれほど辛い道筋を棺へとわれわれは引きずられるか、貧しさ、病気、そしてそれに続く死。永遠の眠りが死の後に続く、生命から離れると、わたしは虚無に入る、ああ、痛ましきわが身の有り様よ!」。こうしてデ・バローは真理への導き手である理性をイヴを唆す蛇とし、情念に隷属された禽獣の道へとひき返す。すなわちキリスト教による救いの道を拒否したリベルタンが、その代償として得たものはパスカルの力説した「神なき人間の悲惨(Misère de l’Homme sans Dieu)」であったのだ(Pascal 1670)。デ・バローにリベルタンの王位を継承した学識的リベルティナージュ詩人テオフィル・ド・ヴィオーは、「人間の悲惨のトポス(topos de la miseria hominis)」をその生涯を賭して訴える。テオフィルの奏でる詩学は―予定説の世俗化ともとれる機械論的宇宙観に基づいて―悲観主義的調律が為され、〈救済の不在〉に起因する惨状が幾つも並べられる。救済の主たる恩寵は精神の安寧と祝福である。救済によって秩序化された善悪は、人類を誘惑する魔力に溢れ、当為の至上命令を齎した。テオフィルはこうした神の寵愛を我物と駆り立てる幻術を呪解し、審判なき善行が徒労に終幕する無慈悲なる生を「おお、宿命よ、お前の掟は何と過酷なことか!/われらの無実性など、何の役にも立たないのだ/善人の運命は何と過酷な出来事に/遭遇するだろう!」と憐れむ。また、そのようにして永生への道が途絶えた死は、救済を夢想する安らかな眠りから、無惨なる力学へとなり果てた。「死んだ愛する女の瞳のうちで生きていくのに、/ 充分なだけの強い魂を持っていると誓う人々は / 肉体を破壊させてしまうおぞましい死がもたらす威力を/見届ける時間を持たなかったのだ。/ そのとき混乱した感覚は機能が麻痺し、/ 顔面は目に見えて崩れ醜くなり、/ 精神は麻痺し、四肢はきかなくなり、/ そしてさらばと自分に言い聞かせながら、もはや意識がなくなり、/ やがて生命が消えた後、/ 顔はその皮膚から表情が消え、/ 悪臭放つ死骸の腐敗がわれらに開けさせるのだ、/ その死体を隠す(葬る)ための穴を大地に」。いつしか〈救済の不在〉が示す惨劇はリベルティナージュの主題そのものとなり、現に、―悍ましき自然の無常なる摂理によって―悲観的な色彩に濁るテオフィルの詩調は世紀末まで残響した。もっとも、テオフィルが解剖した救済なき「人間の悲惨のトポス」は、彼の辿る軌跡が詩趣以上に哀愁を物語る。キリスト圏の顰蹙を買う瀆神的なリベルティナージュのスケープゴートとして隔離、投獄、死刑宣告を下され、死の間際に批判精神を放棄し、恩寵を求めてキリスト教に回心したテオフィルは、真理の招く絶望に苛まれ救済を窮乏する「神なき人間の悲惨」の全き証人となるだろう。
失われた救済を求めて、悲観主義的な色調で時代を染めるリベルティナージュの詩学とその系譜を、我々は〈悲劇的リベルティナージュ(libertinage misérable)〉と呼びたい。テオフィルとその影響下にあるデ・バローが端緒をなした〈悲劇的リベルティナージュ〉の詩学は、学識性に基づく脱神話化―我々の偉大なる造物主は、意志ある人格神でなく、無為なる自然であることの露呈―によって顕となった残酷なる生の原理に絶望し、我々を纏う不条理を説く。「われらが死ぬ時、われらの内のすべては死ぬ。/ 死は何も残さず、自らも無だ。(...)/ 死の後に来るあの未来を/恐れることも望むこともやめよ。/ 消滅への恐怖と、あの無明の未来に/再生する希望で心を惑わすことをやめよ。(...)/われらは時の餌食となり、/ 自然はわれらをたえず渾沌へと呼びもどす。/自然はわれらを踏みしだきつつ、永遠の変化をつづける」。生を統べる無慈悲なる理の詩情は、果てなき世界の無常なる雄大さ、生得的な鉄鎖と宿命の抗いがたさ、あらゆる存在意義(raison d'être)の失効を人類に啓示する。 ゆえに「死によって不安になり、悲観主義に陥り、強迫観念に悩み、実存を自分たちに耐えさせてくれる生の哲学を彼らは求めた」(Minois 1998)。そして十七世紀後半、禁忌を知らぬ幸福へのノスタルジー漂う〈悲劇的リベルティナージュ〉は、現世を楽園とするエピクロスの座標を便りとすることで栄華を極める。何処の桃源郷に想いを馳せることを廃し、地上を楽園とするヴィジョンは、真理の淵に蔓延る飢えと渇きを癒した。そしてそれは、かのポール・アザールに「リベルタンの典型」(Hazard 1932)と云わしめたサン=テヴルモンの言説に最も象徴的である。なかでも真理の淵、即ち思弁の地平が酷く醜いものにあることを知っていたサン=テヴルモンは、晩年、自らを賢王ソロモンの背信に投影する。三千もの箴言を説く知恵の象徴ソロモン王が、死差し迫る老境で色情に酔いしれるその所以は「恋愛は死の想いを逸らせてくれる。恋愛がなければ死は絶えず我々の心に生じてこよう。恋愛は想像による恐怖や、心の不安を散らしてくれるのである」として、絶望へと誘う思索からの逃避行にあった。老年にしてアヴァンチュールを往くサン=テヴルモンはそう考えた。それゆえ思惟に耽るデカルト的存在証明は絶望への手立てであると一蹴し、「我愛す、ゆえに我在り」などと学識性からエピキュリズムに転移する一つの法則性を表象する。愚かしい終局とされるソロモン王の背信。それはサン=テヴルモンにしてみれば、思索の末に真理と対面し有終の美を飾るソロモンの知恵そのものなのであった。テオフィルの影響下にあり、ソドムの王と称されたサン=パヴァンが色欲に耽るはまさにこうした考えにあったからかもしれない。こうしてアヴァンチュールを嗜む華々しきエピキュリズムに、通奏低音の如く偏在するメランコリーを結ぶサン=テヴルモンは「我々の条件の苛酷さに打ち勝つことは難しい。けれど要領よく巧みにそこから逸れることはできる」として、パスカルが断罪する慰戯(divertissement)こそ「生に結びついた悲惨」から人類を分つ恩恵であると唱える。「我々を我々の惨めさから慰めてくれるただ一つのものは、慰戯である、しかし慰戯は我々の有する惨めさのうち最も大きなものである。なぜならこのものは、何よりも、我々が我々のことを考えるのをさまたげ、我々を知らずしらずのうちに滅びに至らせるからである」(Pascal 1670)。即ち、情念と戯れ、悲惨を慰めるすべてとは、閉塞状態にある我々人類に唯一残された光明なのだ。悪徳と罰し放埒と罵られる戯れも、禁忌を侵犯せし惰性の触媒たる戯れも、我々を纏う不条理の数々を慰めるのならば、その道理は如何様にも存する。よってパスカル的当為律を反転させ、華々しきエピキュリズムを謳歌するサン=テヴルモンの一連とは、悲惨の侵攻をまえにした延命、忘却という延命であったのだ。しかし、ショーペンハウアーの言葉を借りるならそれは「この悲哀の世界からの真実の救済の代わりに、単なる仮象的な救済を差出すことによって、最高の倫理的目標への到達に反抗することになるもの」にある。〈救済の不在〉と、その絶望が要請した世紀後半はまさにこうした仮象的救済の時代であった。それは、かのヴォルテールが師と称したギヨーム・アンフリー・ド・ショーリューにさえみられる。
理性を正しく用いることで明晰さがもたらされ、明晰さは世界のありのままを映しだす。しかし、ショーリューは叫ぶ。「なぜかくも悲愴な真実で己が思考を闇に染めるのか?虚偽と誤謬と激情を、群れなして還らしめよう。果たして過ぎ往く僅かな時間のうちで、思弁する是非があるのだろうか?」もし幸福が自己欺瞞と故意の偽りによってのみ達成されるのであれば、ショーリューは、この目的のために、知的な誠実さ、思考の明晰さ、そして彼にとって最も重要な考えをすべて犠牲にすることを厭わない。例えば、死後の個人的な生存の可能性について、答えは出ないことを彼は知っている。理性では、生存の可能性をよくて低いものとし、人間が死すと「大いなる無意識」に再び吸収されるだろうと彼は考える。しかし、死後もこの世で生き続けると信じることによって人間が幸福になるのであれば、その信念を奨励してもよいのではなかろうか?「私はむしろ人間の愚かさにゆだねることを好む。そして、地獄の存在を信じるが、それは美しいものとして見るのだ。」このように、狼狽や恐怖の束縛から解放され、草原の草花のあいだを歩みながら、甘い夢想の過ちをさまよう。ショーリューは己が半生を、言い逃れと自己欺瞞の連続だったかもしれないと気づき、最初の著書『死について』の中で、それを認めている。確かに神は、彼が幸せになろうとしたことを責めることはできないし、彼が「残酷なことが嘘の甘さを少しばかり罰する」と信じたことを許さなければならない。嘘の優しさを少しばかり厳しく罰するだろう」と。ショーリューは、自己欺瞞の必要性にうち克ち、理性に従って生きるために、すくなからず一度は努力する。彼は「嘘の愛らしい女王」である想像力を追い払い、老後には理性に従うために彼女のもとを去るようにと告げる。しかし、彼はすぐにその性急さを懺悔し、「過ちの母」なしでは生きられないことに気づく。「いや、女神よ。私は道に迷う。どうか、いつまでも私と共にいてください。運命が私たちに何を準備しようとも、あなたと共に立ち向かいます。苦い杯も、あなたのおかげで甘美なものに変わります。奈落の縁も、あなたのおかげで花で覆われます」(Rozenblum 1956)。
シャトーブリアン曰く、「我々の悲惨と我々の欲求のために作られたこのキリスト教は、我々に絶えず、地上の悲嘆と天なる歓喜との二重のタブローを提供してくれる。そして、この方法によってキリスト数は、魂の中に現実の苦しみと遥かな希望の源泉を植えつけ、そこから尽きせぬ夢想が流れ出しているのである」。即ち仮象的救済に縋り、ただ逃れることを謳う当為命令は世俗化された神学倫理にほかならない。超越的な次元に外在する楽園への逃避。それは原罪の名を冠す悲劇的実存への手向にある。従って、幾世紀もの歳月を経て現実的世界の貶価を刻印された精神が新たな仮象へと向かうは、或る種の必然ではなかろうか。謂わば、アタラクシアとは内在化された楽園なのだ。また、そうした転移は第十のミューズを冠す貴婦人デズリエールが、その詩趣で夢想する無垢の黄金時代に示唆的である。アントワーヌ・アダン曰く「彼女の詩は、欲望や思考を消し去り、(…)精神の無知と情熱の沈黙を勧める。それは、罪以前の世界を想起させるものであり、そこでは、闘争も努力もなく無垢が君臨していたのだ」。同時代を生きたラ・ロシュフコーは「われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない」と云う。しかし、17世紀のリベルティナージュはこれを反転させた。すなわち、彼らは悪徳と偽装され、断罪された美徳の数々を解放し、人類を救う手立てとしてその価値と規範の可能性を我々へと問う。すなわち、われわれの悪徳は、ほとんどの場合、偽装された美徳そのものであったのだ。それは聖アウグスティヌスへ救済を冀求したペトラルカが断罪する病原「怠惰」へと賛美のオードを贈るラ・ファールに象徴的である。「私はあなたの祝福を歌います、親愛なる怠惰よ、/ あなただけが私の心に平和を回復してくれました。(...) ああ!どれだけの間違いや誤解があるか / あなたに身を委ねる者の欺瞞を解きなさい! / 休息の愛に心を奪われた魂は / それ以外の法則を認識し、従うことができません。/ あなたは嵐の只中に平穏をもたらし、/ 荒々しい熱情に正当な制止をかけ、/ 偉大さに対する威厳ある軽蔑によって / 最も確固とした勇気さえも高めることができます。/ 平穏の不可分の伴侶、/ 怠惰は人間の幸福に必要なものなのです」。こうしてラ・ファールは―荒神マルスに抱擁をもってアタラクシアを授ける―美と愛の女神ヴィーナスを、ベルフェゴールに替わる怠惰の象徴として掲げるのであった。
したがって天上の慈悲に替わり浄福の享受を再臨させるエピキュリズムは、悲劇的なる生へせめてもの救済を冀求するリベルティナージュ的還元のプロトタイプを準備する。背信のテオフィル、禽獣のデ・バロー、色欲のサン=パヴァン、逃避のサン=テヴルモン、欺瞞のショーリュー、無垢のデズリエール、怠惰のラ・ファール。彼らが織りなす仮象的救済のシンフォニーは、かくして一八世紀末に宿る根源へと紡がれるのであった。
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こうして階層化されたアンシャン・レジームから、フラットな市民社会へのダイナミクスが生じた18世紀末に、―天の悪戯が如く、始祖ヴィオーに均しき刑罰を下された―失われた羅針盤を抱くバスティーユの囚人が筆を執る。或る者は彼を「自由を生きる、さもなくば死を(Vivre Libre ou Mourir)」と誓う革命精神を患う病理学的残滓であるとし、或る者は唯我論的嗜虐性の権化たる文学的テロルの主犯と咎め立て、或る者はシュルレアリストの敬愛する聖公爵と記憶する。バスティーユの囚人が綴る比類なきエクリチュールは、リベルティナージュの総決算を冠するに相応しき叛逆思想を樹立した。かくして、その訓戒を知らずして悪徳を遮ること勿れ、その教説抱かずして実存を贖うこと勿れ。彼こそ、悲劇的実存の再臨を以て、あらゆる美徳へ愚の烙印を捺すリベルティナージュの帝王アルフォンス・フランソワ・ド・サド。即ち近世思想の極地である。
サドによって完成されたリベルティナージュの殊勲はラ・デュラン夫人の言葉に象徴的である。「リベルティナージュとは、あらゆる拘束の完全な破壊、あらゆる偏見に対する極度の軽蔑、すべての信仰の打倒、あらゆるたぐいの道徳に対する極めて激しい嫌悪を前提とする感覚の錯乱なのです」(Sade 1800)。また、これはブランショの言葉で補完される。「いかなる振舞も特権化されることはない。つまり、何をしてもかまわないという選択をすることことができる。重要なのは、そうすれば最大の破壊と最大の肯定を一致させることができるということなのだ」(Blanchot 1949)。「最大の破壊と最大の肯定」を冠するサドという肖像を悉に解するべく、ミシェル・フーコーのある講演を紹介したい。フーコーは壮年から晩年の著作まで長きにわたってサドを論じ、前期著作より「18世紀にはじめてサドが、彼以前にはその存在はなかば秘密のままであったリベルティナージュについて首尾一貫した理論をつくろうとする」(Foucault 1961)などと、優越せし地位を与えていた。フーコーの講演によると「サドの言説は、『美徳の不幸』と『悪徳の栄え』の十巻を通じて、また『ソドム百二十日』や他のすべての作品を通じて」人類史におけるあらゆる実践を支える原理―神、魂、法、自然―の「非存在証明」をすることにあるという(Foucault 1970)。そしてそれらの非存在証明を授かりし者は、全方位に存する否定命令を無効宣告する。
西洋の哲学的でイデオロギー的な言説の機能を逐一反転させている(...)サドの言説は、哲学的で宗教的な言説が肯定しようとしたことをすべて否定するのです。西洋の宗教的で哲学的な言説は、つねになんらかの仕方で、神を肯定し、魂を肯定し、法を肯定し、自然を肯定してきました。サドの言説はそれらをすべて否定します。その反面、西洋の哲学的言説は、これら四つの根本的な肯定、これら四つの哲学的主張から出発して、否定的な命令の次元を導入しました。神が存在するのだから、お前はこれをやってはならない。お前の魂が存在するのだから、お前はこれをする権利がない。法が存在するのだから、お前はこうしたことを断念しなければならない。自然が存在するのだから、お前は自然を侵してはならないというわけです。つまり西洋の哲学的言説は、四つの根本的な主張、四つの根本的な肯定から出発して、道徳と法の次元、命令の次元に、否定を導入したのです。反対にサドの言説のゲームは、否定を逆転させて、肯定されていたものをすべて否定します。神は存在しない。したがって自然は存在しないし、法は存在しないし、魂は存在しない。ゆえにすべてが可能であり、命令の次元において拒絶されるものはもはや何もないのです(Ibid.)。
すなわちサドは四つの「非存在証明」を以て全否定命令を無効化し、あらゆる実践を可能的な行為に昇華させ、〈絶対的自由〉を白日の下に曝したのだ。こうして幾層にも重なった道徳的高峰のすべては、サドによって完成されたリベルティナージュ的還元によって、フラットな地表と化す。 同時に、覆いかくされた残酷なる生の原理が姿を現わし「この悲惨な世界に自分の意志とはかかわりなく投げ込まれた不幸な人間が、茨の人生のうえに薔薇の花を咲かせるためには」、と充足の是非を我々に問うのである。こうして「牢獄の孤独の中でサドは、デカルトが身を包んだ知性の夜に比すべき」(Beauvoir 1955) 批判精神を以てして、信仰の〈絶対的自由〉を実践の〈絶対的自由〉という第一原理へと深化したのであった。
したがって、サドのその偉大なるエクリチュールは死にも比した、或いは形而上的死とも呼べる状態を人類によび醒ます。死とは崩れゆく肉体の予感、その有限性の告白をもってして生の不足をつきつける。権威をもって我々を拘束する道徳の鎖とは、死の前に無力であり、歴史が証明しているように、人類の多くは死期を悟ると己の在りたい姿に忠実になる。それは「かような時にこそ始めて真実の声が心の底から出るものであり、又仮面ははがれ、真価のみが残るからである」。よって諸論理が倒壊し、朦朧とする所与のなかで自由はその輪郭を確立する。それほどまでに鮮烈に、死は自由を照らす。その地点においてサドのエクリチュールは死の偉大さまでもへと接近するのだ。しかるにリベルティナージュ的還元の軌跡が、逃避行、自己欺瞞、怠惰など諸悪の渦に存する救済の解放を為すのは神の死、すなわち永生の道が途絶えることで、神によって遥か彼方へと遠ざかった死期が、彼らのもとへと突如としてさし迫ったことにあったのかもしれない。こうして二つの死は絶対的自由を啓示することで、各人を真価へと導く。すなわちリベルティナージュ的還元の招く破壊のダイナミクスは、「どう在るべきかではなくどう在りたいか」を問う当為論的転回へと馴化され、人類を肯う美徳の受胎原理は一新される。
全人類の母は、彼ら全員にあらゆるものに対する平等の権利を与えた。自然の秩序においては、誰もが、たとえ相手が誰であれ、自分によかれと思うことをすべて行うことが許されでいる。(...)あるものが人にとって必要であることを確証するには、その人がそれを望むだけで十分だ。そのものがその人にとって必要である、あるいは快い以上、それは正しい。(...)「ある行為が正しいか正しくないかは、それを行うものの判断だけに依存する」、とホッブズは言っている。このことが、その人を非難から救い出し、彼の振る舞いを正当化するだろう(Sade 1799)。
荒野は花園に、絶望は希望に、破壊は肯定に。万事を正す〈絶対的自由〉は、我々を美徳咲きほこる当為論的楽園へと飛翔させる。治世の崩壊と共に開演するその舞台に広がるは、霧たちこむ夜闇のうちに、さだかならぬ虚空から燦然たる光が差し込む情景。あまねく道徳律が幻想曲を唄い、世界の細部へと優しさを運ぶ感覚。いきとしいけるものは原初よりみな美徳と一つだったことを喚起させる甘美な瞬間。アルフォンス・フランソワ・ド・サドの名の下にすべてを肯うこの地平こそ、不可能性の只中に浮かぶ儚くも悠遠なる真実の救済、〈絶対的自由〉に適う楽園の表象なのだ。
かくして一八世紀末に完成されたリベルティナージュ的還元の論理が、如何に生を純化させ、救済の条件を顕とし、その先の本源的世界へと我々を導くか。それを明らかにしてきた。しかし幾度なく過ちを繰りかえす人類は「その他の動物と同じく偶然に左右されて、この世に生まれてきたぼくたちは、まことに惨めな存在である」と憐れで残酷なる生を憂いだうえでなお、あらゆる当為や道徳的軛から逃れることに不安を抱くことだろう(Sade 1793)。そのとき再び〈悲劇的リベルティナージュ〉は、そのエクリチュールの軌跡を辿ることで美徳咲きほこる彼岸―解放奴隷(libertinus)―へと導いてくれる。愛と救済のベアトリーチェへと紡ぐ、使徒ウェルギリウスのように。
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幾世紀にも渡るリベルティナージュの終局が要請する相矛盾した善悪の承認。そして自由の自由に対する闘争。それが〈絶対的自由〉の社会的機能である。ゆえにリベルティナージュは啓蒙主義の病理的分身であるとして、各国では非難の的とされ、その思想は社会の安寧を崩壊させる異端の書が如く隠蔽される。誰しもが不可抗かつ不条理に生が始まったのであり、如何なる在り方も許される社会でなければ、生が全面的に浮かばれることは叶わない。こうしたキリスト教に替わる救済の志向性は、現実という抗いがたい重力によって無慈悲にも潰えてしまったのであった。そして連綿と続く豪華絢爛な太陽王のバロック、暗黒をきり拓く燦爛たる啓蒙の光、民衆を熱狂の渦へと導く革命の騒乱、続く英雄の誕生。絶えず継起する希望のオルタナティヴは、人類に普遍なる主題〈救済の不在〉までをも、一連の輝かしい歴史の影へと封印してしまう。しかし、リベルティナージュの歴史的重要性。それは大衆精神を表象する文学でも、体系としての学問的価値でも、思想による現実の征服でもないことを我々は思いださなければならない。近世と近代、いわばルネサンスと啓蒙の架橋、情念と理性の矛盾律渦巻く一八世紀世相の序章、そしてその合一によって成された大革命。すなわち、その重要性とは時代精神の地殻変動に他ならない。時は一九世紀。華々しく時代を飾る中心の世代交代は突如として喪失し、それを契機としてリベルティナージュは別名でもって、そして最もあるがままの姿をなして再臨する。そして、それはかの偉大なる哲学者ルソーによって準備されるのであった。
彼がその生を受けるは一八世紀、神亡き人間の時代。それは現代にまで決定づけられた大いなる転回を組織する。ロバート・モージ曰く「十八世紀においては、人が世界を非難するのは、もはや救済の名においてではなく、幸福の名においてである」。救済と幸福。この両者は似て非なる存在であり、その根源において大きな隔たりを有する。それは悲惨なる人間的実存の可否にあるように思う。救済とは、その意として悲嘆と歓喜の「二重のタブロー」が織りかさなる。しかし、幸福にはそれがない。実存の本性とは、まず光があって、それを闇が侵蝕するのではない。希望を獲得するものは闇のうちに産みおとされ、光明が差しこむのである。すなわち幸福からは、こうした存立基盤が剥奪されている。よって十九世紀には、現代社会が如く悲劇的実存という羅針盤を失うはずであった。幸福が人類の理想であると信奉され、自らをとりまく生の悲劇的一般性が隠蔽された社会。ヘゲモニーは幸福のかたちを示し、苦しみはそうした幸福へと向かう努力の是非へと還元される現代社会へと、一九世紀の時点で完全に移行する。はずであった。しかし、それは一九世紀へと意志を紡ぐひとりの哲学者によって防がれる。彼の名はジャン=ジャック・ルソー。薄れゆく羅針盤を守護し、次代へと継承する救済の庇護者である。
ルソーは救済なき人間の悲惨をパスカルから継承した。パスカルが「神なき人間の悲惨」にて暗に示すは、暗澹たるリベルティナージュ的生である。よって憐れなる生に神なき応答を試みるルソーは、悲劇的リベルティナージュの或る種のヴァリエーションを奏でた。ゆえに一般意志と共和政へと紡がれるフィナーレは現代にまで轟く一大叙事詩となったが、生の残酷なるプレリュードこそルソーの思索湧きいずる淵源に他ならない。そしてそれはルソーの著作を貫く、治療というアレゴリーに現れる。そして治療もまた、二重のタブローに基礎づけられるのだ。ジャン・スタロビンスキー曰く、 ルソーが患う誕生そのものを起源とする病とは「その出だしでいきなり自分の生を、最初の病の支配下に置いてしまう」のであり、その病は「生を根本から規定しつづけることになる」のだ(Starobinski 1989)。「「(…)生まれたこと、それが私の最初の不幸であった」。そしてこの痛手から(あるいは、痛手があると思い込みそれを語ることから、と言ってもよいが)癒されよう、救われようとして、彼はあらゆる手段を試みることになるのだが、しかし自分の誕生そのものを原因とする病なのだから、生きているあいだはどこまでも癒される保証はない。(...)『告白』の語りにおいて、原初の病というテーマは、治療(広義の)というテーマとほとんど分かち難く結びあっている。病と、それに戦いを挑む治療との、共犯関係。救いをさしのべられたおかげで、ルソーは生きのびることができた。(...)こうして、驚きと憐みとが同時に呼び覚まされることになる(Ibid.)」。それだけにルソーはセネカの句を『エミール』の題辞として引用したのだろう。「私達は治療可能な[sanabilis]病で苦しんでいる。もし自らを正そうと[emendari]と望むならば、自然〔本性〕そのものが正しい誕生へと私達を支える」。こうしてルソーはデズリエールやサドにも似た理想へと帰結する。それは自然状態というエデンの園、文明という失楽園、そして冀求された楽園回帰。すなわち自然本性の無垢性、絶対的自由への回帰である。デズリエールとサドは内省をもって回復を望む。しかしルソーの革新性はその点に大きく異なる。
ルソーはパスカルの人間告発を真剣に取り上げ、その問題の重大性を余すところなく感じとった十八世紀最初の思想家であった。ルソーはこの告発を和らげることなしに、そしてヴォルテールのようにそれを穿鑿ずきな厭人家の自虐気分と考えることなしに、この問題の核心へ肉迫する。パスカルが『パンセ』で描き出した人間の偉大さと悲惨の描写は、ルソーの最初の著作である懸賞論文『学問芸術論』および『人間不平等起原論』のなかに一言一句再現されている。(...)人間が俗世間や社会で多彩な活動をしたり気晴しのために動き廻るのも、偏えに彼が自分一人だけの存在に耐えられず、自分自身を直視するに忍びないからに他ならない。これらの休みなく目的なき活動は、すべてが静寂を怖れる心理に発している。実際に人間が仮に一瞬間でも自分自身の状態に立ち帰ってその状態を明瞭に意識するならば、彼は必ずや極端に救いなき絶望に陥るであろう。(...)彼はいかなる種類の弁疏や手加減をも考えることなく、パスカルと同じく人間の現在の状況が最も救い難き堕落であるとみなした。だがルソーは確かにパスカルの論証の出発点であったこれらの現象を承認したけれども、他方で彼はパスカルがその神秘主義と宗教的形而上学にもとづいて提起した説明根拠を受け入れることをきっぱりと拒否した。(...)ルソーの『エミール』は次の言葉で始まる。「万物の創造者の御手を離れたときはすべては善である。すべては人間の手中で堕落する」。こうして神の責任は取り除かれ、すべての悪に対する責任は人間に帰せられる。だがこの責任はあくまでも「現世」に属して「来世」には属さない故に、そしてそれはまた人間の経験的・歴史的存在に先立つものでなくこの現状から発現する故に、われわれは自らの救済と解放をこの地上でのみ求めなければならない。天上からの救い、超自然的な援助は決してわれわれを解放しはしない。われわれは自力で解放を実現して自らそれの責任を引き受けなければならない。(...)今までの社会の強制形態が崩壊してその代りに政治的・倫理的な共同体が、すなわちそこでは各成員がもはや他人の恣意には隷属せず、成員各人にとって自己のものと認められる一般意志のみに服従する共同体の新しい形式が出現する段階で、初めて人間解放の時は到来するにちがいない。だがわれわれはこの救済を外部に期待しても無駄である。神が救済をもたらすのではない。人間は彼自身の救済者に、そして倫理的意味において自分の創造者にならなければならない。今までの形態の社会は人類に非常に深い傷を負わせてきたが、変形と改革によってこの傷を癒すもの、そして癒さなければならないものも同じく社会なのである(Cassirer 1932)。
かくして、神なき人間の悲惨に相対したルソーは社会変革の是非を人類に問うた。〈救済の不在〉が指揮する悲観主義的な旋律。それはせめてもの救いとして、我々が往くこの世界を理想に適う楽園へ導かんとするプレリュードにあった。ゆえに一般意志や共和政とは、現世楽園化計画の一プロジェクトに過ぎず目的にない。この意味でルソーとはリベルティナージュの全き系譜に位置するのだ。それを示唆するが如く、人類が共有する悲劇的実存への「憐れみ」にリベルティナージュ的連帯の喚起を求める。「私たちが自分たちの同類に対して愛着を持つのは、彼らの喜びを考えることによってではなく、彼らの苦しみを考えることによってである。というのは、私たちはそこに自分たちの本性により一致するもの、そして私たちに対する彼らの愛着を保証するものを見出すからである。私たちに共通の必要は利害によって私たちを結びつけるが、私たちに共通の悲惨は情愛によって私たちを結びつける。(...)こうして燐憫(pitié)が生まれる」(Rousseau 1762)。ルソーは「人間を社会化(rendre sociable)するのはその弱さだ。わたしたちの共通の惨めさ(nos misère communes)こそが、わたしたちの心に人類愛をもたらす」(Ibid.)と謳い、〈悲劇的リベルティナージュ〉の論理を政治的連帯へと昇華させた。従って一七世紀中葉より世相を支配した〈救済の不在〉と絶望の数々は、連帯を養う燐憫の礎へと転化する。「実際に寛容とは、慈悲とは、人間愛とは何だろうか ─それが弱者や罪人や人類一般を対象とした憐れみの情でないとしたならば。善意や友情すら、よく考えてみれば、憐れみの情が特定の対象に、長いあいだ注がれるうちに生まれたものなのである」(Rousseau 1755)。ルソーはあまねく人類がさだめられた「共通の悲惨」、すなわち生一般の悲劇という、誕生と共に現れる病的なものから憐れみと出会い、治療を求め、楽園へむかう。誕生と同時に感染する、もはや生の存在条件でさえある病的なもの。それを原罪と説明するキリスト教は、最後の審判を経て到来する楽園でもってその真なる治療を予言した。病と救済、罪と治療、現在と楽園、ルソーとヨハネ。こうした一連を繋ぐは共苦である。ニーチェ曰く「人はあえて、共苦 Mitleiden を徳 Tugend と名づけてきた。(…)さらにすすんで、共苦から徳そのものものを、すべての徳の地盤と根源をでっちあげるにいたった」。人類に共有された苦しみ、それを癒す楽園へむけて秩序化されるプライオリティ。
これこそロマン主義の開花、すなわち-原罪としてはじめて観測された-誕生を原初とする病の世俗化に他ならない。神なき人間の悲惨。真理によって閉ざされたこの世界で逝き場を失くした失落者らの患う、無力さ、耐えがたい倦怠、厭世、焦燥渦巻くメランコリー。リベルティナージュに起源をもつこの病理は一九世紀初頭に大衆へと蔓延し、悲観主義纏うロマン主義精神を組織した。ゆえに再び「彼らは何ものかを、いや、ほとんど何でもよいから、この広大な精神的真空を埋め、形而上学的基盤に対する自分の渇望を満たしてくれるものを求めつづけていた」。かつて神なき人間の悲惨といわれ、再び一九世紀精神を蝕むそれを、人は「世紀病(mal du siècle)」と呼ぶ。シャトーブリアンが「情念の空漠性」と表し、コンスタンが「今世紀の主要な精神的な病のひとつ」と診断するこの実存症状は、〈悲劇的リベルティナージュ〉のもとに生まれ、パスカル、ルソーを通じ、セナンクールやミュッセら文学者の手で現象学的に記述されることを通して、ようやく世相へと表出される。フォルテュナ・ストロウスキー曰く、シャトーブリアンは「パスカルのうちに世紀病を見出した」。このことは、リベルティナージュが患う悲観主義こそが世紀病であったことに示唆的である。バロック調と啓蒙主義、そして英雄の誕生において、その輝きの影に隠蔽された世紀病は、フランス革命の遥か前より歴史に偏在し、〈救済の不在〉にその起源を有するのだ。よって、メランコリックな詩情が「魂の苦悩や、感受性が存在の中に見出させる虚無や、生の消耗から死という未知なるものへ」の深い思索へと誘うのに対し、快楽の詩はそうした慧眼を排してしまうなどと、世紀病患者スタール夫人が憂うその本懐は、エピクロスを全面化させ、悲劇的実存という羅針盤を失ったリベルティナージュ史への嘆きにあるのかもしれない。そしてボードレールはこの図式を継承し、原罪以後の失楽園的世界を描く芸術をロマン主義と定義した。それはいわば、リベルティナージュの再臨こそが、ロマン主義精神の原理であることの定義に他ならないだろう。かくして、失われた救済を巡る系譜は十九世紀へと継承され、さらなる興隆をみせることとなる。そして、その象徴こそ不在性の完成である。リベルティナージュは神なき精神を占める空洞、その不足を如何にして埋めようかと画策してきた。ロマン主義の一部もそれに続き、限りない歓喜であれ耐えがたい苦悩であれ、魂を激しい感情の動きで満たすものが、世紀病患者には何よりの滋養であるとする。しかし、多くはそれが仮象的な救済であることを知っていた。埋めることの当為論が一時的な充足においてしか達成し得ず、ひとたび空洞へ通ずる隙間をゆるせば、即座に絶望が侵入することを知っていた。ゆえにロマン主義に現れた不在性はその虚ろを覆うことだけでなく、寧ろそれを精神の全面へといきとどかせ、不在性の完成、すなわち無の勝利へと駆りたてる。それは仮象性を排した一つの完全性を意味し、精神を巣喰う無と一体になることで、あまねく悲惨からの無限の解放を謳ったのである。したがって神の死した世界では、死において一つの真なる救済が確立された。現にレオパルディは死を待望し、シャトーブリアンやレーナウは自殺を試み、フォスコロやヴィニー、セナンクールはその権利を主張した。それを行使した者こそゲーテのウェルテルであり、レーナウのファウストであり、ラマルティーヌのラファエル、ミュッセのロラ、ミツケーヴィッチのコンラッドなのであり、ギュンダローデ、ラーラ、ネルヴァル、ベドーズである。こうしてドイツでも世相を染めた一連の病を彼らは世界苦と呼び、生一般の悲劇性は突如として世界へ剥きだしになった。この病をルソーより架橋し共犯することで、世界へと蔓延させるはかの文豪ゲーテである。空白を満たすか、空白で満たすか。まさにそれは『若きウェルテルの悩み』のプロットであった。センセーションを巻き起こしたその書は、来たる時代精神を正確に描写し、その病とカルテを連想的に叙述する。主人公ウェルテルは郊外で開かれたとある舞踏会で、シャルルロッテの美貌と豊かな感性に惹かれ、叶わぬ恋を抱いてしまう。「ああ、空白、恐ろしい空白が私のなかにある。ときどき考える、たった一度でいいから彼女を私の胸に押し当てたい。この空白が埋められたら」。そして婚約者の存在が耐え難くあったウェルテルは一度その地から離れることを選ぶも、再び彼女のもとへ戻り、その果て絶望にいつしか「自分の好きなときに現世という牢獄から抜け出すことのできる自由」「暴君の耐えがたい圧政のもとに坤いている国民がついに反乱を起こし鎖を断ち切ろうとするとき、それが弱さと言えるだろうか」などと自らで肯定した自死を選ぶ。愛か死か。空白を満たすか、空白で満たすか。そうしたロマン主義精神を象徴するかのようなこの物語は、死によって幕を閉じた。しかし、死の勝利で終わるかにみえたその自伝的著はゲーテが記すことでもって自らの病を治療し、自殺を免れる。したがって書くことを通じ、ゲーテは空白が満たされ、ウェルテルは空白で満たしたのである。
こうして始まる神亡き時代。すべての関節は抜けおち、剥きだしになった世界。秩序、意味、価値は崩壊し、あまねく規範が脱臼した地平。こうした世紀にショーペンハウアーは一つの終局を齎す。それはリベルティナージュの悲願であり、パンドラの箱-原罪-神なき人間の悲惨-世紀病などとあらゆる時代で様々に呼ばれた摂理。ショーペンハウアーはその本性を見事なまでに照射し、体系的に描写してみせた。それすなわち生一般の形式性、その悲劇的性質である。
第一に説明されるは形式的悲劇だ。ショーペンハウアーに云わせれば時間とは極めて残酷である。我々がいま存在している現在、この一文を読んだ時、認識された現在は既に、過去のなかへ繰りこまれており、こうして絶えず現在は我々の手元から抜けおち、そのリアリティは記憶へと収納されてしまう。ゆえに我々へ出来する未来もすぐさま現前からすり抜け、儚く散ってしまう。また決して止むことのない時間の原理、言い換えるなら一切休息の生じえない時間性と共にある我々は、その力学に抗う術もなくただただ死へと向かい行く。同時に時空間の無限性に自らを設置してみると、その存在の耐え難い軽さに絶望を抱くことだろう。さらに悲劇的なのはそうした消え失せそうなほどに微小な存在でもあるのに関わらず、あらゆる原子はいまを必死に生きようと、その生で足掻くことに他ならない。これが悲劇でなくてなんと形容できようか。第二に説明されるはその肉体的悲劇である。ショーペンハウアー曰く「全人生はいわば死からの逃亡において成り立っている」。彼はその類比として歩くことを挙げる。我々がこの大地に立ち、前に足を踏みだすことには力が必要である。もしそこで完全なる脱力をしてしまうならば、我々はすぐさま大地に顔を打ちつけてしまうことだろう。とするならば、我々は歩くとき常に倒れることを阻止していることに他ならず、生とは全面的にそのようなものである。呼吸も然り、食事も然り、睡眠も然り。我々は絶えず生と死のせめぎ合いの狭間に位置しているのであり、刻一刻と死と戦い、勝利をおさめている。しかし、ここにも休息はない。絶えず我々は押しよせる死に対して、食事を摂り、呼吸をし、足を踏みだす。しかしながら最後にはこの闘争に敗北する。如何程まで勝利を重ねようと、命あるものいずれは枯れゆく。死は常に背後からその勝利を狙っており、死こそが苦難に満ちた闘争の終着地なのである。そして第三、最後に紹介されるは人間的悲劇である。ショーペンハウアー曰く人間は二種類に分つことができる。それは意欲ある者と意欲なき者である。意欲ある者の基盤となるは、欠乏と不足であり、彼らは決して癒されることのない飢えと乾きに明け暮れている。他方、意欲なき者を支配するは空虚と退屈であり、生を駆り立てるもののない彼らには、人生の張り合いと意味を欠いた倦怠だけが待っている。それはちょうど、いかなる叙事詩も劇文学も幸福を得ようと奮闘し、その獲得と同時に急いで幕を下ろすように、我々は時の止まった悠久なる無を生きるようにプログラムされていない。ゆえに人間とはパンとサーカスが必要だ。そうして彼はユウェリナスを引用する。こうして彼は次のように帰結する。
いずれの人の一生も、もしこれを全体として一般的に眺め渡してそのなかから著しい特徴だけを抜き出してみるなら、本来それはいつも一個の悲劇である。
そこで我々が留意せねばならないのは、これは単なる一過性の気分的な悲観主義でなく、また、生理学的なデカダンスでもない。そして生の特殊なケースに該当するものでもなく、特定の条件付けのもとに生起する理でもない。ショーペンハウアーのそれは全くもって論理的帰結であり、生一般に共有された悲劇的な様相なのだ。レジンスターはニーチェについて同様の見解を述べている。「この診断の重要性は過小評価されてはならない。というのも、もしニヒリズムが「単に、生理学的デカダンスの現れにすぎない」ことが明らかになるとすれば、それに従ってニヒリズムの克服の見通しは修正されなければならない」。
かくして、リベルティナージュとロマン主義はキリスト教的救済に替わるオルタナティヴを模索した。しかしそれは裏返せば最も神を欲した者たちと換言できる。
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ニーチェがキリスト教、エピキュリズム、ロマン主義にある種の同一性をみることはその証明となる。なぜならばエピキュリズムの栄華を誇るリベルティナージュとは、真理の功罪が失落させるキリスト教思想の純粋な世俗化であるからに他ならない。−前述したように−エピクロスの洗礼をうけたデズリエールのそれは罪以前の黄金時代へ向けられたノスタルジーであり、サン=テヴルモンとショーリューのそれは現世の苦しみから、来世という幻想へ目を背けるキリスト教的当為のヴァリエーションであり、ラ・ファールが冀求するアタラクシアは内在化された楽園と整理できる。ゆえに彼らは他のあらゆる無神論的見地からすれば、叛逆者の名を冠するに相応しくなく、寧ろ教条的なまでの信奉者であり、キリスト教的救済が不能になったもの達へうちたてられた世俗的セクトに近しい。現にアウグスティヌスは一時エピクロスに接近し、エラスムスはキリスト教との同一性を論ずる。したがって-ルクレティウスからみてとれるように-ニーチェが同一とするそれは生一般へ向けられた絶望と、その不在に対する救済への非ディオニュソス的態度、すなわち休息、静寂、陶酔、痙攣、忘我、狂躁の救済にあるのだ。ゆえに、キリスト教もまた、リベルティナージュ、ロマン主義に同じく生一般の悲劇的形式性をその基礎としている。その説明こそ「原罪」、善なる神が創造したこの世界が苦難に満ちていることの釈明である。もし、神がいるならば、そしてそれが真善美と共にある至高存在たるならば、我々は乳と蜜の流れる楽園に住まい、幸福に満ちた生活をおくるはずである。そしてそれは神の権能のもとに組織され、生は全存在に贈られた至福の時となるだろう。こうした願いは当然の帰結であるように思える。しかし、無惨にも世界は不条理で支配され、苦しみは絶えず我々に勝訴する。この不協和、外れてしまった蝶番を結びあわせるものこそ原罪、いわばパンドラの箱に他ならない。すべての存在が享受するはずだった楽園。エデンに生まれおちた悪しき種の起源が犯す禁忌。罰として失落し、苦しみを宿命づけられたアダムとイヴ、その血族である我々人類。かくして悲劇的なこの生を歩まねばならない定めは説明され、世界と神が接続される。こうして人は悲劇を受容し、その苦しみを受け入れ、死へと駒を進めることが可能になった。ゆえにシオランは原罪なくして、如何にこの苦難に満ちた世界を生きることができるのかと嘆き、ユングは原罪という教義に「治療」的価値をみる。そして生と分かち難い苦しみ、いわば生の存立条件たる悲劇的形式性を共有するキリスト教は、-世界に繁栄の限りを尽くした宗教であっても尚-その極致に位置する反出生主義へと接近するのだ。なぜならば種に刻印された原罪は、その端緒を誕生から得る。悲劇とは、生命への奉仕によって再生産され、死は神ではなく、人間によって創造される。確かにその起源にすれば、人間に第一の苦しみを科したのは神に他ならない。しかし、以降の苦しみの創造主。諸悪の連鎖を紡ぎ、世界に悲劇を招来させ、罪と罰の主となるは我々人間なのである。よって誕生と共に感染し、増殖する種の病理を遮るは、人間の有限性なのであり、死とは悲劇への飽くなき勝利なのだ。ニュッサのグレゴリオス曰く「処女性によってその腐敗を断つ人々は、自らのうちに死の限界を設け、死がそれ以上進み行くことを自ら阻むことになる」。ゆえに歴史とはアダムに始まり、マリアに終わる。なぜなら彼女は滅びをめぐる連鎖を、滅びでもって断ちきる。アダムより止むことのない悲劇に一つの終止符をうつことこそ、人類へ贈る無限の母性、処女マリアという存在なのだ。ゆえに、キリスト教はロマン主義に同じく、-というかは寧ろキリスト教にしたがって-生一般の悲劇的形式性と救済の関係式を病のアナロジーで表現する。オリゲネスは次のように記す。
このことを想像させる表現(imagines)が聖書の中にも述べられている。例えば、申命記においては、罪人たちを熱と悪寒と黄疸で罰し、目をくらませ、精神を錯乱させ、麻痺と盲目、腎臓の衰弱によって苦しませると、神聖な言辞(sermo divinus)は威嚇している。それ故、暇に任せて[聖]書全体から罪人たちに対する威嚇が肉体の病気の名で言及されている箇所をすべて集めてみれば、魂の悪徳や罰がそれによって比喩的に(hguraliter)語られていることがわかるであろう。医師が治療によって健康を回復させようとして、病んでいる者を治療するのと同じ目的で、神が堕落した罪人に対処されることを、預言者エレミヤを通して命じられたことが暗示している。即ち、「神の怒りの杯がすべての民に回されるように。それは彼らが飲んで、正気を失い、[悪いものを]吐き出すためである」という命令である。ここには、飲むのを拒む者は浄められない、という威嚇が込められている。当然、ここから神の復讐の怒りは魂の浄化に役立つものであると理解される。また、火を通して施されると言われる罰でさえも治療のために用いられることをイザヤが教えてくれている。彼はイスラエルについてこう言っている、「[主は]シオンの息子と娘の汚れを洗い、審判の霊と焼き尽くす霊によって、彼らの内から血を浄めてくださる」。そして、カルデア人については「お前は火の炭を持っている。その上に座るがよい。それはお前の助けとなるであろう」と言い、他の僧所では「主は燃える火をもって彼らを聖別されるであろう」と言っている。さらに、預言者マラキも言っている、「主は座して、金や銀のように、ご自分の民を精錬されるだろう。ユダの浄化された子らを精錬し、浄化し、溶解されるであろう。
他にも、アレクサンドリアのキュリロスは「ひとりの者、すなわちアダムの不従順によって、本性は罪の病に陥りました」とし、エイレナイオスは「不従順の罪ゆえに、病気が人間に襲いかかるのです」などと記す。こうした一連をもって罪は病と形容された。そして帰結されるは救済、すなわち魂の治療である。デモクリトス曰く「医術は肉体の病を癒すが、知恵は霊魂を情念から解放する」。また、クレメンス曰く「肉体の病に対する助けは、主に医術と呼ばれ、人間の知恵によって教授されうる技術である。しかるに人間的な病に対する、唯一父祖伝来の癒し手とはロゴスであり、これは病める霊魂に対する聖なる医師にして魔術師である」。このようにして肉体の治療をなす医学に対置される形で、魂の治療をなす神学という地平が成立された。「肉体の治療を軽視してはならないけれども、しかし魂の治療を欠いていれば結局すべてが無に帰する」。なぜならば、医学は我々の生を延命可能であるがしかし死それ自体に抗うこと、ひいては我々が死を受容することは成されない。よってアルクィンは次のように云う。「もしあなたの良心の傷を天上の医師に隠さないのであれば、あなたは薬という完全なる至福を手に入れることができるのです。(…)医師の治癒のために、罪を告白しなさい。あなたの救済を考えなさい」。では「医者はだれか。わたしたちの主イエス・キリストである」。したがってキリストの地上における使命とは、アダムの堕落によって人類に定められた絶望を癒し、蛇の毒を中和する神の医者である。「アダムにおけると同様に、人間の本性は腐敗の病に陥り、(...)それと同様にキリストにおいて健康をとり戻したのだ」。したがって、キリスト教のその真髄とは生一般の悲劇的性質に向けられた「癒しの神学」にある。そして、その体系とは死生に意味、当為、起源、行先を与え、魂を治療する無類の学であった。
「新しい魂の医師はどこにいる?」
したがって、芸術は陶酔、生殖は痙攣、自殺は休息、無は忘我と整理でき、ネオ・リベルティナージュこそロマン主義であることを先に示したように、「キリスト教徒なるものは一種のエピクロス主義者にすぎず、エピクロスと同じく本質的にロマン主義者なのである」。
現にアウグスティヌスは一時エピクロスに接近し、エラスムスはキリスト教との同一性を論ずる。しかし、彼の云うオプティミズムは寧ろその図式に反する。ニーチェがみるそれは生一般へ向けられた絶望と、その不在に対する救済への非ディオニュソス的態度、すなわち休息、静寂、陶酔、痙攣、忘我、狂躁の救済にあるのだ。
休息の完成としての自殺、陶酔の理想としての芸術。
そしてネオ・リベルティナージュこそロマン主義であることを先に示したように、「キリスト教徒なるものは一種のエピクロス主義者にすぎず、エピクロスと同じく本質的にロマン主義者なのである」。
また、治療という二重のタブローはこの地点に合流する。キリスト教はその歴史において、罪を病、回復を救済として、魂の医者としての神-天使-キリスト-聖人を位置づけた。オリゲネス、アルクィン、アンブロシウス、アウグスティヌス、グレゴリウス。
「「クリトンよ、医神アスクレピオスに鶏を一羽捧げなければいけなかった」と。この滑稽でかつ恐るべき「臨終の言葉」は、聞く耳のある者にはこう響く。──「クリトンよ、生とは一個の病気なのだ!」と」
魂の治療としてのヘレニズム哲学
それはアスクレピオスをうち倒す形でキリスト教の役目に渡る。アスクレピオスにイエスを対置させ、思想史的転換を言説上で成すはユスティノス、オリゲネスである。アタナシオス、テルトゥリアヌス、アルノビウス、ラクタンティウス
アルクィンはアスクレピオスを偽キリストとした
そしてそれを自覚的に殺すがニーチェであり、そのオルタナティヴを嘆くのだ。
ショーペンハウアーはその名を冠するに相応しい。なぜならば彼ほどに多くの救済を並列させ、その価値を検討した者はいない。
エピクロスとキリスト教に
エデンの園と自然状態。
キリストの地上における使命とは、アダムの堕落によって人類に定められた絶望を癒し、蛇の毒を中和する神の医者であった。
ニーチェについて
クローチェ曰く「この病いは、伝統的な信仰から逸れたということよりも、現実的に自らを新しい信仰に適合させて生きてゆくことの難しさによるものである。この信仰を生き、行動に移してゆくには、勇気と雄々しい態度を要するからである」。進歩主義から実存主義まで同様のことを言える。ヘゲモニーを獲得してきたキリスト崩壊以後のイデオロギー達は、宗教に比して強者を要請するものであった。リベルティナージュはこの系統に反する。それは17世紀の各人を見れば明らかだろう。
サント=ブーヴは、一八四九年、若者たちがロマン主義の世紀病から身をそむけ、サン=シモン主義者のひそみにならって、「産業の限りなき勝利」を夢みるようになった、と書いている。この夢は、残りなく実現されたすえ、現代のありとあらゆる事業の信用を失墜させ、希望という観念そのものをも不信にまきこんでいる。
反ロマン主義的自己療法によって超人思想をうちだし、現代社会への転換。すなわち救済から諦念。カントは認識の、ニーチェは実存のプトレマイオス的反転を為したのだ。
ストア主義の敗北。そこから学ばなきゃいけない。中世の価値はそこ。選民的諦念から誰にでも開かれた万人救済へ。
ゆえに諦念に基づく勇気と猛々しい態度を基礎とする現代社会の倫理はいつか敗北するだろう。ストア主義のように。そしてそのとき我々に与えられているのは絶対的自由であるだろう。
問題はいままで続く
そして、これは近代芸術にある種の様式性として立ち顕れる。それを見事に表現した者こそゼードルマイヤーであり、彼の記念碑的著作『中心の喪失』である。「中心を失うことは人間性を失うことである」というパスカルから採ったエピグラフのもとに、近代芸術をその現れ。時代性の高度な具現化と評価する。