公教育とその方法ほど、譫言に溢れている問題はない。自然ははるか昔から、政治経済学のこの分枝において、セネカがこうむった屈辱からコンディヤックやルソーの失敗まで、われわれの理論とこうした問題の主唱者とを取り違えるという意地の悪い快楽に浸ってきた。セネカはネロの教師だったし、コンディヤックは政治的白痴しか育てず、ルソーは自分の子供の教育さえしようとしなかったのである