ヴァーグナー
あらゆる芸術史のなかで最大の才能である。
1858/12/1 日記
1858/12/8 日記
1858/12/20 マティルデ・ヴェーゼンドンクあての手紙
私たちの手紙は行き違いになりました:私の手紙を郵便局で出したところへ、あなたのが来たのです!少し前から私はまったく孤独です。カルル・リッターは、病気の母に誕生日の挨拶をするために去っていきました。彼が去ったとき、私は、仕事を-始まったばかりだったが-中断させた病気から癒えるところでした。私は彼に、帰って来た時には、(トリスタン)のかなりの量を仕上げている、と約束しました。しかし、またもや、私は部屋に引きこもる破目になったのです。その上、足に怪我をしたのがもとで、今度は、椅子に縛り付けられ、そこから寝台に運んでもらうことにもなりました。そんな状態がほぼ今日まで続いたのです。(...)あまり書籍はもって来ませんでした。またこのような情況なので、読書もほとんどしませんでした。しかし、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの手紙は取り寄せました。...もっと興味をそそられたのはシラーです。彼には心から没頭します。...それから、哲学も沢山やります。そして、わが友ショーペンハウアーを補完し、修正するという大きな成果を得ました。しかし、そのようなものは、書き付けておくよりは、頭の中で反鍋している方がいいと思います。
ショーペンハウアーへと送られることのなかったショーペンハウアー宛ての手紙
この文は冒頭、ショーペンハウアーの引用から始まる
「最後に、愛し合っているが、外的な事情に邪魔された恋人同土が共同の自殺をとげる例が毎年のように、一つ、また二つ挙げられる。これについて、どうも私には説明できないことは、お互いの愛を確し、それを享受することに最高の仕合わせを見出す期待を持った人たちが、断固たる手段に訴えて、あらゆるしがらみを逃がれ、あらゆる災難に耐えることよりは、自らの生命と一緒に、これ以上ないと考えられる幸せを放棄する道を選ぶことである」。私は、あなたがこのことについて本当に説明を見つけられなかったと考えたい気持ちにそそられます。と言いますのは、その点に私は話しの接ぎ穂を見つけたいと思うのでして、性愛という素地には自己認識に至る、しかも単なる個人の意志の否定ではない意志の自己否定に至る、一つの救済の道が現れている、という私の見解をお伝えしたいと思うからです。この、私の見解を哲学的に伝達できるようにする様々な概念という材料を私は専ら、あなたから得ました。いま、私は私の意見をはっきりお伝えしようと思いますが、それは全く、あなたを通じて習得した全てに倍頼をおいているからであります。私が、私の思っている意志の決断という、完全にして最高の現象をまず叙述するという回り道をしなければ、あなたが挙げられた例を説明できないという事情を、どうか、私の未熟、あるいはまた弁証法に才能を持たないということで、お赦し下されば幸いです。あなたのおっしゃった例は意志の決断ということのごく不完全で低い度合いのものとしか私は理解できませんが...