ハンス・リヒター
1964『ダダ』
ダダには綱領がないだけでなく、徹頭徹尾反綱領的であった。ダダはどんな綱領ももたないという綱領をもっていたのだ。それがこの運動の時代と歴史的要因に、あらゆる面にむかって美的、社会的制約なしに自由に展開する爆発的な力をあたえたのである。この「絶対的な無前提性」はじじつ、芸術上の新しいできごとであった。こんな「楽園のような」状況が「永続する」わけがないことについては、人間の不完全さがおのずから保証していた。しかし、ほんのつかのま、絶対的自由がはじめて一度、肯定されなければならなかった
しかしリヒターがダダの活動を「あらゆる面にむかって美的、社会的制約なしに自由に展開する爆発的な力をあたえた」とするのは、少々過言である。確かにダダは美的制約のほぼすべてを拒絶した。しかし、芸術は社会の規定性から真に免れたのだろうか。その証明こそキッチュである。すなわちダダイズム最後のプロジェクトとは、この規定性をも拒絶し、完全なる無前提性を獲得する資本主義内部のプロジェクトとなるだろう。