ゼードルマイヤー
1948『中心の喪失』
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冒頭のエピグラフ
「中心を失うことは人間性を失うことである」。パスカル
第七章
これらの徴候群を集めて一緒にしてみると次のような診断が下せる。すなわち中心が失われている、ということである。芸術は中心から出て向こうへゆこうと努める。(...)芸術は―言葉のあらゆる意味において―中心からはずれたもの(eccentric)になったのである。(...)こういう徴候は人間一般の類似な傾向を象徴的に表したものである。人間が「中心」から先へ、人間から先へ出てゆこうとするのはなにも芸術だけに限らない。そしてまさしくこの傾向こそ、近代芸術の現象によって他のいかなる事実とも全く比較にならぬくらい鋭く照らしだされ、すっかり明らかにされるのである。
ではこの中心とはなんたるか
このようにみれば、われわれが「中心の喪失」と名付けた障害は、人間における神的なものと人間的なものとが無理に分離させられていること、神と人間の間が引裂かれていること、人間と神すなわち神人キリストとの間の仲介者が失われていることにみいだされるであろう。人間の、失われた中心とはまさしく神である。すなわちいちばんの病原は阻害された神との関係なのである(I・F・ゲレス)。
結論
一九、及び二十世紀において最も深刻に悩んだのはとりわけ芸術家、その中でも怖しい幻像によって人間及びその世界の転落を可視的なものにすることを仕事としたものこそ、その最たるものであったということである。一九世紀には、全く新しい型の悩める芸術家、すなわち孤独で、昏迷し、絶望し、狂気の淵にたたずむ芸術家が現れる。これはそれ以前にはせいぜい単独者としてしか存在しなかったものである。(...)ヘルダーリン、ゴヤ、フリードリヒ、ルンゲ、クライストから、ドーミエ、シュティフター、ニーチェ(かれは芸術家でもあった)、ドストエフスキーを通って、ヴァン・ゴッホ、ストリンドベリ(「人間は哀れだ!」というかれの叫び)、トラクル一連の作家には、時代の下に悩んでいる苦悩の一つの偉大な連帯性がみとめられる。これらの芸術家はすべて、神が遠く隔たったため、あるいは「死んだ」ため、そしてまた人間が低下させられたために、苦しみを味わったのである。そしてまた最も多くヨーロッパはこの状態の下で苦しんでいる。それゆえに、ここにはまだ精神的希望があるといえよう(外面的にはまだきわめてよくないかもしれないが)。
しかしゼードルマイヤーはなぜこうした「一連の作家には、時代の下に悩んでいる苦悩の一つの偉大な連帯性がみとめられる」としたり、またそれを「精神的希望」と呼ぶのか。以下のように語る。
刷新は、その状態が病気と感ぜられている場合、そしてこの状態にひとが苦しめられ、人間失格を恥じ、ほとんど絶望線ばかりであるという場合にのみ、これを得ようと努められる。そして同時にひとが苦しみを自分の身に引き受け、これに一つの意義を与えようと試みる場合である。「秘訣は、苦悩がより高次の治癒力を生み出すことに存する」(エルンスト・ユンガー)。希望は最も深刻にこの状態の下で苦しんだ場合に現れる。
すなわち芯から湧き出た苦悩は、煮詰められた挫折は、或いは君の絶望は、希望に転化し得るのだ。ゆえに「絶望のうちにさえも―もしその絶望が真正なものであるならば―積極的な可能性が存する」とし、それを連帯の礎とすることを冀求する。そしてその末、再び失われた中心を埋めることができたならば、「ヨーロッパは、このような刷新ができるかぎり、もう一度世界の模範となり、光の担い手となるであろう」。ゆえに芸術の当為論を以下のように描き出す。
芸術に関していえば、なにかあるものを空いている中心におくことはさし当たって恐らくまだできないし、まだ仲々できないであろう。しかし少なくとも、失われた中心には完全なる人間、神人のためにあけておかれた王位が存するのだ、ということだけはっきりと意識しておかねばならない。.この意識を与えられており、これを維持している人びとは、たとえ「新しい時代」に足をふみ入れることはできないにしても、これを目にすることはできるであろう。
ゼードルマイヤーは本書を通じて、近代芸術を「中心の喪失」という時代性の高度な具現化、その「現れ」とした。したがって、芸術がその中心を獲得することができないにせよ、その不在性を絶えず人類に突きつけることが可能なのであり、それによって希望に転化される絶望は不断に我々の元へ蓄積されるのだ。ゼードルマイヤーはこうした不在性の告白、中心の喪失の啓示において近代芸術の価値、そして当為論をみいだすのである。
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森洋子 『中心の喪失』に対する論評について
Zykan, Josef: "Mitteilungen" der Gesellschaft für vergleichende Kunstforschung in Wien
1949, 1. Jahrgang Juni Nummer 4.
Roh, Franz:"Kunstchronik" 1949, 2. Jahrgang.
Hildebrandt, Hans:"Die Kunst" (Hefte 12 September 1950) 1949/50, 48. Jahrgang.
Lill, Georg :"Das Münster" 1950, 3. Jahrgang Hefte 3-4.
Zahn, Leopold:"Das Kunstwerk" 1950, Eine Monatsschrift über alle Gebiete der Bildenden Kunst, Viertes Jahr Heft 2.
Voss, Hermann:"Zeitschrift für Kunst" 1950, 4. Jahrgang Hefte 1.
Kiser, Emil:"Zeitschrift für Kunstgeschichte" 13. Band 1950.
Schnizler, Hermann :"Jahrbuch für Aesthetik und Allgemeine Kunstwissenschaft" 1951.
Hofmann, Werner:Unter dem Titel von "Zu Einer Theorie der Kunstgeschichte", "Zeitschrift für Kunstgeschichte" 1951.
Fehl, Philipp:"College Art Journal 1951.
Zucker, Paul:"The Journal of Aesthetics & Art criticism" 1958, Vol. XVII.
Ettinger, L. D.:"The Burlington Magazine" Vol. C. No. 659-699.
これらの論評のなかで、ゼードルマイヤーがもっとも多く反駁されている第一の点は、「かれの近代芸術を時代の病いの徴候」とみなす態度である。現代芸術を擁護する人びとは、それゆえにゼードルマイヤーは近代美術の否定論者であるといい、「いかなる物も、そこに内在している否定的なものによって生きるのではない。存在しているのは病いではなく、衰弱した健康である」(J.Zykan)と反論する。かれらは、セードルマイヤーによる二〇世紀芸術への見解、すなわち「増大する抽象」と「増大する魔力」の二現象を認めながらも、「このふたつは、ときには否定的な、ときには肯定的な性向を蔵する。しかしゼードルマイヤーは、ほとんど否定的な性向しか見ない」(F. Roh)と批判する。また「今日の芸術は、精神と形式によって、混乱の克服を備し、諸芸術の改新された結合への傾向とともに、意識・無意識にかかわらず、ひとつの新しい世界像と和合しようとしている」(H. Hildebrandt)という強い肯定説を打ち出そうとしている。しかし筆者の見解によると、ゼードルマイヤーはたとえ近代を「人間性の致命的疾患の時代」と表記しても、それは「死にいたる病」として時代を否定し、時代に絶望しているのではない。この点、病いの現象はヨーロッパ文化の終焉に導かれる必然的経過と判断した、オズワルド・シュペングラーとは異なるものである。また近代芸術の否定論者という評価に対しても、後に『近代芸術の革命』の巻末で、芸術的な力が枯渇したとか、全近代芸術が非芸術である、などが自分の唯一の主張であるかのごとくとるのは誤解である、と弁明している。