エルヴェシウスはこう言っている。「物理において運動が占める位置を精神において情念が占めているのを、誰が疑うだろうか。発明とか芸術の驚異をもたらしてくれたのは、強い情念以外の何ものでもない」、と。彼はこうも言っている。「情念を精神の生産的胚種として、偉業をなし遂げる強力な発和として、見るべきだ」、と。強い情念に動かされていない人間は、凡庸な人間でしかない