佐々木迅・藤村知紀・松野駿平「秋葉原看板裏物語」
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- 200mmの可能性 -
東京都千代田区秋葉原のプロジェクト。ここはポップカルチャーの聖地として世界で称されるが、それを表象する夥しい量の壁面広告がつくりだす風景に、ひとつこの街の異質な顔がある。ゆえに、しばしば散見される都市ビルが「機能・形態・表象」から構成されるのに対して、秋葉原の建物はそれに加えて看板の「支持体」が4つめの主要建築因子として存在しており、文字通りこの街の景観を支えている。だが一方で、実際のところその支持体は一辺倒な経済合理性の下で簡素なしつらえに留まっており、表象は依然として退屈なビルのボリュームをそのままなぞっているのが現状だ。 そこでわれわれは、支持体という断面に手を出した。現状わずか数十センチの層を引きのばした中には、なにか建築的な世界が拡がっているのではないか。形態の秩序を脱して敷地の境界をこえて、秋葉原に、均質化する都市のファサードに新たな位相を描いてゆく。これは、看板の支持体の可能性を探る、秋葉原の隠れたものがたりである。
- どこでもないどこか -
舟運を活かした物流拠点として出発した千代田区秋葉原は、関東大震災後の青果市場、戦後の闇市から電気街、そしてサブカルチャーの中心地を経て現在の違法コンセプトカフェが席巻する街へ。表も裏も、正も負も、種々雑多な事象を受け容れて成長を続けてきた。民間の巨大企業と小さな個人商店が軒を連ね、ナショナルチェーンの飲食店とメイドカフェが階を重ねて、通り魔による悲惨な殺人事件の過去をもちながら、総裁選の街頭演説もなされる実に奇妙な街である。そんな目まぐるしく代謝する街の欲望は、なにか明確な機能や形をもった、いわゆる安定した建築的なものにはおさまらない。私たちは、相反する街のありようをそのまま受け止めるものとして、表と裏のあいだに手を加えることにした。既存看板の支持体の拡幅を基本的な操作として、適時鉄材を加え、床を与えながら、本来は存在しない位置に空間を見出す。そこは隣接店舗の機能が延長される部屋といってもいいし、ただ街ゆく人が通り抜ける道といってもいい。人びとは、広告のように前面へと押し出されることもなければ、部屋の奥に隠し込まれることもない。それは一つひとつの店舗と密接に関わっていながら、大通り全体のネットワークにも接続されている。街のなかにあって、建築のそとにあるような場。その位置が宙吊りにされるような、どこでもないどこかとしてここを存在させたかった。
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講評:(古澤大輔)