伊藤茉奈「渋谷巡行神楽」
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日本には八百万の神が存在するとされる。あるときは恵みを与えてくれる自然への感謝、またあるときは全てを奪い去る自然への畏れ。太古より自然の持つ強大な力に畏怖の念を抱きながら、独特の文化を育んで来た。動植物、山や川などの自然をはじめ、嵐や雷などの現象にもその存在を認め、崇め奉った。この世に存在する万物全てに神が宿ると信じ敬ってきたのである。現在の日本人は神に対する意識が薄れ、聖地・聖域の存在意義は見失われ始めている。都市形成により淘汰された日本人特有の意識を再興し、内在しているカミの意識を呼び起こす。
都市化の進む街「渋谷」に計七つの神楽殿を設計する。鳳輦の巡幸とともに神楽が廻り、渋谷の至る所で神のストーリーが展開される。これは、長い年月により淘汰された、日本人の記憶の隙間を埋める建築である。
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講評: 都心の再開発が近年急速に進み、建物は巨大化し、街並みからは歴史的な痕跡が失われるにつれて、場所の記憶や自然に対して神々を見立てていた風習を思い出すことが難しくなってきている。中でも、渋谷駅の周辺は特に大きな変化を遂げていて、数年前の街の姿すら思い出すことすらできない。しかし、そんな変貌する都市の中にも神々の宿る場所はあるのではないか、そして、それらが日常的によく目にしている場所であればあるほど、都市における非日常的な祝祭性が高まるのではないか、そんな仮説に基づいてこの作品は構想されている。建物は、屋根や垂木、高欄など、古典的な舞殿の建築形式から抽出された常設的な建築要素と、古事記や日本書紀に描かれた神話をモチーフにしたターフや幕などの仮説的な建築要素から構成されている。金王八幡宮例大祭の鳳輦巡行の経路を参考に既存の都市の場所性を際立たせるように、一つ一つ異なる舞殿として設計されており、日常と非日常、聖と俗、伝統と現代性などの対立する二項の共存によって、小さな神々の場所が大きな都市の中に作られている。巨大な都市のビルの背後や駐車場の片隅などに追いやられてしまった神々が、祝祭の時に私たちの前に次々と立ち現れ、普段目にしていた何気ない場所が神楽の舞台になり、古の神々が舞い踊る。この作品は、再開発がもたらす都市の記憶の断絶を批判し、聖俗の共存する色鮮やかな絵巻物を現代都市の上に描いている。(山中)