長谷川侑美「N子的『私』小説 -変わっていく私と住まい-」
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「家」を、住まい手の人生や心情を投影していく媒体としてとらえる。
家には、人間の心理状態が表れるという言葉がある。家と人間には心理的にも深い繋がりがある一方、現代において家は、住むためのハコとしての在り方が一般化している。家は住むためのものである、という概念を一旦置いて、家と住まい手の関係性を問い直したい。
本提案は、「私小説的改修」という過程を通して、住まい手(N子)の感情の変化に伴い想像の中で変わっていく家と、更にそれに影響され変わっていく住まい手の物語である。これは、一種のケーススタディだ。
影響し合う家と住まい手は、互いに近づいていき、最終的には家≒住まい手のようになっていくのではないだろうか。
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01.N子と家
今回「私小説的改修」を行うのは、N子という人物で、提案者である長谷川侑美(以下、ハセガワとする)の祖母がモデルである。現在も祖母が住む、北海道旭川市の既存住宅を対象に、「私小説的改修」を行っていく。https://gyazo.com/21ef689738ef0e64428c12f364ebb401
―N子は、物事に対して積極的に行動できない人物であった。他人に対する底知れぬ優しさをもつと同時に、自分に対する優先度の低さから、置かれた環境に流されてしまっていた―
02.「私小説的改修」 ―住まい手の感情を家に投影する
住まい手が自らの人生を振り返り、まるで紙に私小説を書いていくような自由さで家を改修していくことを「私小説的改修」と呼ぶ。修繕しより良い空間を目指す一般的な改修とは違い、快適性は求めず、感情そのものが空間化されていく過程である。
また、実際に改修し暮らすことを想定するのではなく、あくまでも住まい手の頭の中のフィクションとして、自由に創造されていく。
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①N子と対話しながら、過去の出来事やその時の心情を引き出す
②N子は、ハセガワとの対話や自らの振り返りがきっかけとなって出来事や感情を思い出し、それをもとに改修を始める
03.ストーリー
ハセガワが実際にN子と対話をして引き出したN子の人生の転機から、9つの心情を抽出し、それを家に表出させる。N子が入居を開始してから現在に至るまでの期間を対象とし、現在のN子が振り返りながら家を妄想していく。時には、N子の意志とは関係なく、N子の潜在していた感情が家を変えていく。
■プロローグ
母さんって何でも人に決められてやってきたよね。ある時、娘に言われた。ああ、そうだ。
仕事も結婚も、家も、自分の意志なんておいて、周りに言われるがまま生きてきた。
来世は、もう少しだけ積極的な人間になれたら…そう思っていた。
ある時、ハセガワと名乗る者に出会った。彼女は言った。家を変えてみないか。今までの自分の気持ちをぶつけるように、と。
■第1章
ある日、家が真っ二つに割れていた。我儘に行動するために意志疎通のできない夫とN子の、嚙み合わないながらも家族として引き付けられる複雑な関係性を描く。
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■第2章
ひどいめまいがN子を襲った。メニエール病という病名が判明するまでの数年間、仕事をクビになりかけても働き、家族の前では元気に振る舞って家事をこなす毎日。逃げ出したい、でも迷惑はかけたくない、というN子の葛藤と不安は、屋根や壁を崩していった。
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■第3章
裕福ではない家庭を理由に諦めていたが、宝塚のようになりたいという夢をもっていたかつてのN子。
改修を経て、自分の夢を自分で認められたN子は、床の一部を切り離し夢のステージを思い描いた。
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■エピローグ
私は、変えてきた家の姿を見た。色んなことがあったなあ。でもこれら全部含めて今の私がいて、それに伴って変わっていったこの家は、私そのものだ。
本当に改修なんてしていないけれど、家の見え方が変わって見える。
今度は、本当に改修してみようかな。理想の家とか、建てて見ようかな…
04.感情と建築
小説 ↔ 感情 ↔ 建築
N子は、小説のように感情を連ね、改修を行ってきた。
それを読み解くように、第三者であるハセガワが感情から形に至る過程を建築的に推察する。
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05.私小説的改修の意義
私小説的改修は、単にフィクションの中で改修するということではない。
現在までの改修を終えて、実際に存在している家はそのままであっても、N子にとっては変化したあとのように見えているのではないだろうか。
長谷川侑美自身も、本提案に取り組み、リアルと、感情という潜在意識を重ね合わせて建築を見るという新しい建築の見方も発見することができた。
これを見た方々にも、建築を知っているか否かに関わらず、誰でも自由に家を想像し変えていく力があり、頭の中で変えていったそれすらも建築である、という可能性を感じてほしい。
それが、本提案全体を通しての大きな目的であり、私小説的改修の意義といえるのではないかと考える。]
講評:ここに入力(改行は不可)(山中新太郎)