清水勇佑「夜の万代と刹那の出会い」
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~ プロローグ ~
人生において万代(永遠に続く記憶と人間関係)と刹那(出会い別れる一時の儚い幸せ)は出会い共存するべきであることをコロナ中で学んだ。私はこれからあるべき建築と人間の姿を個性が密集する新宿ゴールデン街で表現する。建築は耐用年数と言う構造的な寿命「刹那」とパラサイト的操作が現代的に反転し継承される「万代」が出会うことで行為を誘発させる暮らしによる住人や飲兵衛の出会いと別れの「刹那」と個性が高密度で多様な関係をもつ「万代」が共生しアフターコロナの新たなくらしと価値観を提示する。
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~ 密集個性の継承と進歩 ~
売春街の名残である匿名性(個性)を持った入りずらい扉の向こうには、個々様々な価値観が充満するカウンターに出会いがある。ゴールデン街の一夜の飲みの出会いは万代と刹那の出会い(飲みの出会いは夜が明けるまでと儚いものであり永遠と関係が続くもの)である。また、ゴールデン街自体も万代と刹那の出会い(建築ももろくて儚いものであり文化は永久に残り続けるもの)であるべきである。この街は、文化が消える前に個々が複雑に密集するポテンシャルを活かしパラダイム・シフトという現代的な輪廻転生を行うことによって、殺された儚い建築群でありながら、個々が複雑な関係を持ち密集する永遠に残るバナキュラーでサステナブルな強固な飲み屋街に生まれ変わる。
~ 建築学生としての万代と刹那の出会い ~
最後に僕は建築を通して多くの先生や多くの先輩、後輩、建築家にお世話になって出会い成長しそして卒業で別れる。しかし、楽しい思い出や記憶やスキルは僕の中で永遠に残り続ける。これは建築学生生活の中で建築ばかりで先生や友達、彼女などの仲間を大切にできなかった自分に対する戒めの作品であり、建築学生や建築家への万代と刹那の価値の再解釈を要請する作品である。
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一夜の飲みの出会いは夜の万代と刹那の出会い(夜が明けるまでと儚いが人間関係は永遠に継承されていく)である。また、ゴールデン街自体も夜の万代と刹那の出会い(建築は寿命があり儚いがそこにあるコンテクストや文化は永遠に残り続ける)であるべきである。コンテクストをデザインに転換するため、ゴールデン街の個性を表出するパラサイト的操作を抽出し各スケールで定義した。木造パラサイトでできたこの街は視覚的操作により様々な匿名性(個性)を表出される。敷地に散在する課題をクリアランスしながらコンテクストを永遠に継承する現代的な輪廻転生を提案する。
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過去の木造パラサイト形態手法を現代のRCパラサイト形態手法に各スケールごとに変換し飲み屋街の改修とその上の新設住宅街の造形を決定する。下の飲み屋街の様々な匿名度(個性)を上の住宅街に反転継承しパブリックとプライベートの概念に転用することで様々な空間をデザインする。階高を継承することで床レベルを拡張していき偶発的多様なレベル差や平面的なゆがみを生じさせ、住人や飲兵衛のたまり場や物や行為の個性が表出する集落的都市空間をデザインする。
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講評:丁寧に一つ一つの事象に対して考えた作品である。新宿ゴールデン街の再生計画であるが、たくさんの切り口から提案があるようで全てに応えようとした姿勢は好感が持てる作品である。しかし、もう少し的を絞ってその点について深く切り込んで空間の提案までした方が、言いたいことがよく伝わったのではないか・・と印象を受ける。特に既存の木造を型枠にして外部にコンクリートを流す空間などは実際に表現してその空間がどのような質感になってくるのか・・確認したいところである。(今村)