松野駿平「被斜体」
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01 Prologue / 写真は、同一化のことわりであった。
頭の中にとある建築を思い浮かべるとき、それが実際に見た姿ではなくその写真であることは珍しくない。今日の私たちは写真によって建築を経験し、写真に撮ることで建築を経験化している。写真の起源を辿ればその先は16世紀のカメラ・オブスキュラに到るが、その原初はルネサンス期の透視図法にある。アルベルティによって確立されたそれは、世界を正しく記述するという第一義的な技をこえ、普遍的で純粋な真理をとらえる「正しさ」のメタファーとして深く世界に根づいていった。ゆえにわれわれは、歪みのない端正な建築写真を前にしたとき、それが純粋であることの偽装を疑うことはない。われわれは写真にありもしない奥行きを目測し、そこにある表面の妥当性を社会的慣習から決定して、そして無理のない状態でそれを受容する。ただ漠然と在るはずの建築が無意識の内に完結されて、安定したイメージが自動生成されてゆく。写真は、建築の同一化のことわりであった。これは、ただ延々と意識下で繰り返される、対象が想定内に現象する運動を遅延させ、建築に思考する時間をかせごうとする企てである。
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02 Planned site / 政治と建築の共犯関係。
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敷地は東京都港区、丹下健三の設計であるフジテレビジョンの本社ビルに設定する。磯崎新の都庁コンペ案を書割り的に再現してみせたことはよく知られた話だが、彼の手掛ける作品はいつも時代の記念碑足り得る極めて明快なイメージをそなえていた。マストコラムの格子とそこに据わる巨大な球体は、相違なく国民全員が共有するフジテレビであろう。そしてマスメディアそれ自体もまた、国家的なイメージの誘導であったことは言うまでもない。国家権力にあずかり知る丹下のフジテレビは、プロパガンダの視的装置となって、政治と建築その二極から大衆のイメージを特定の側面へと同一化させてきたのである。
03 Method / 写真が為したふたつの功罪。
1. 象徴補正 / SYMBOLIZE
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写真が本質的にもつ象徴性は、一方の対象を認識した途端に、他方を背景へと後退させてしまう。これは建築写真に人の顔が写されない理由のひとつでもあり、特段フジテレビでいえば、球体とマストコラムの影に隠れてイメージからこぼれ落ちた要素が数多く存在しているように思える。
2. 転倒操作 / TILT
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空間を拡縮させる技はルネサンス期からなされてきたわけだが、ピクチャープレーンを垂直軸から解放し自由な回転を許容したことは、透視図法に代わる写真が為し得た最大の革命であった。カメラが仰ぎ見るということは、翻ってそこに写る像は俯くということ。写真とは、転倒した世界へと参入する手立てだった。だがわれわれは、転倒世界を現実のそれと同一化させて認識し、慣習的なアオリ補正によって世界を傾けた事実を隠蔽している。
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ここでは転倒した世界を見過ごされてきた世界と見立て、そちらの軸で建築を組み立てなおすことで、隠蔽されたフジテレビの側面を暴こうとした。如上の、イメージからこぼれ落ちた諸要素は、ここにあるふたつの座標世界を繋ぐ紐帯も担うよう、脚色し改めて付加させてゆく。
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// composition diagram
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// cross section perspective
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14階を刺す空中コリドール。定まった世界軸をもたないシリンダーの空間で、衝突する二世界を傍観する。
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7階の屋上広場。転倒したマストコラムが水平世界を襲っている中でただ、抗って立ち尽くす。
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20階の透明なレストラン。倒れた箱に直立する私と水平にひろがる眼下のお台場。世界の、その向きを捉え直してゆく。
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カメラを倒して撮影した一枚。見過ごされた転倒世界へと参入し、そこでは力学を脱する。水面が立ち上がる。
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これは、見過ごされてきたもうひとつのフジテレビへと望みを展げる展望台である。安定した水平世界を脱して、今、自分の目の前から世界が倒れてゆく。そうした感覚から、限られた側面に収斂されない建築のイメージの横滑りを目指した。
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00 Beginning of project / 偽証する写真。
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これは実像と写像の多義的な関係を探ろうとする、本計画の前提にある試行。四方に方形開口が穿たれた箱を純粋な立体とし、それを以下のルールで二種に変態する。
通常撮影した場合に、あたかも広角(望遠)で撮られたかのような像が写る立体 → 広角体(望遠体)
広角(望遠)で撮影した場合に、通常の像が写る立体 → 反広角体(反望遠体)
以下はふたつの撮影技法における、写像と実像の関係図である。ひとつの実像から複数種の写像が得られるように、ひとつの写像の帰属先もまた、多様な実像があり得ることが分かる。
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講評:ここに入力(改行は不可)(古澤大輔)