杉山陽祐「未完生 -遺り続けるしらひげ-」
卒業設計/2022年度
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約半世紀前、隅田川沿いに現れた全長1kmにわたって連なる巨壁-都営白鬚団地。
住戸というよりも、むしろ防火壁として描かれたメガロマニアックな近代遺産・白鬚の解体による記録を試みる。
白骨化していた「らしさ」は部分的・段階的な解体により顕在化され、生成と崩壊の間を振幅しながら時間とともに空間の一部へと交織されていく。
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(出典:東京都都市整備局ホームページ/2023.3.20閲覧 https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/dainiseibi/tikubetu/shahige_higashi/index.html )
https://gyazo.com/897114009a3723e81bf6df39a3688392
(出典:新建築1978.3)
△1964年、新潟地震による大震火災をきっかけに、都内でも有数の木密地域に中小工業が混在していた江東区では、再開発に加え都市防災拠点を地区内六ケ所に設けることを盛り込んだいわゆる江東防災六拠点構想を策定し、1978年、隅田川沿いに東西を二分する全長約1km、高さ40mの巨壁「白鬚団地」がその前身モデルとして姿を現した。
当時、都市火災の威力を想定し検証することは困難であったため、白鬚団地では木密地域のある東側全面に火の手が迫っているという最も過酷な状態を想定し設計が行われた。そのため不燃化のみならず、住戸のバルコニーや避難経路には輻射熱から人々と公園を守るための散水用ドレンチャーと防火シャッターが備え付けられており、有事の際には都道が抜ける箇所も含めてシャッターが下り、文字通り一枚の壁と化す。
しかし約半世紀がたった同地域では、継続的な不燃化事業が結実しつつあり、例えば全面に火の手が迫るという状況を想定していた東側の不燃化率は一部50%を越えている。散水用ドレンチャー、防火シャッター、それらを仕込んだ防災庇、源となる貯水槽、壁としての一体性を担保するブリッジなど可視的な、しかし最も重要な白鬚らしさはその過剰さもろとも機能的役割の蒸発とともに白骨化していくのである。
近代遺産とも呼べる白鬚の記録方法として様々な可能性があるが、本案では白骨化に伴い、防火壁としての機能を剥がし立体公園化していく、すなわち解体による記録を提案する。
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△我々はしばしば、情報の欠落したものやあるいは重なりのなかからオリジナルとも呼べる本質を探し出そうとする。
個人によって現れるものは様々だが、そこに生成されるものは紛れもなくオリジナルであり、そのオリジナルこそが最も生命力すなわち強度を持ったものではないだろうか。
不在あるいは多重性を孕んだ痕跡は生成を促す未来へ向けられた断面であると同時に、オリジナルや崩壊前の過去へと向かうための断面としても成立するといえる。
さまざまな手と文脈、時間の混在した痕跡のコラージュを解体操作に用いる。
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△空室となった住戸を一部残しながら隣室へ譲渡し、使い手がつくり替えていく。
さらに空室化が進んだ場合は、既存躯体の解体を行いながら、立体公園として都市へ開放していく。
次に、白鬚団地らしさが可視化されたドレンチャーやブリッジ、貯水槽などを適宜解体し、空間の一部として織り込んでいく。
最後に、立体公園化のタイミングで、既存RCよりもしなやかで木よりも強靭な骨格としてスチールフレームを挿入することで、空間の流動性を高める。
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△部分的・段階的な解体により、内在していた過剰な装置やスケールなどが少しずつ剥き出しとなっていく。
空間内に並置されていく住戸、バルコニー、公園、防火装置など異なる文脈で語られる様々な痕跡はすべて、紛れもなく白鬚自身を語るものである。
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△痕跡のコラージュにより断面化された白鬚のなかには生成と崩壊のベクトルが同居し、「らしさ」は少しずつ、しかし確かに強度を増しながら、空間の一部として時間とともに織り込まれていく。
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△白鬚を支えてきた強靭な骨格は自身の植木鉢化を拒まない。
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△既存RCの解体に伴って生じたヴォイドにブリッジをかけ渡す。内包されていたシャッターを下ろし塗装することでシアター空間へと転じている。
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△屋上で渇いていた巨大な貯水槽が、老木のように横たわる。
半永久的に若くあり続ける白い建築が刹那的な消費の対象となる現代において、建築の生命力はいかに不透明な状態を泳ぎ続けるかというところにあるのではないだろうか。ときに情報の欠落したモノクロ写真のように。あるいは多重性の中で胎動する詩のように。そうしたある種の混沌を建築に内在させることで、建築のそれ自身としての強度が高まっていくのではないかと思う。
生成と崩壊の間を振幅しながら、痕跡のコラージュとして建ち現れるしらひげは、その崩壊の中で形式性から剥がされ、
覆われていた過剰さや様々なオリジナル性は空間の一部として時間とともに織り込まれていく。
しらひげはこれからも未完生な建築として遺り続けるだろう。
指導教員:山中新太郎
講評:宿命的に建築は造られた時点で時が止めらるものである。周辺環境は変化し内部のアクティビティーが変化しても、建築は変わることができず、内外の変化に取り残されて崩壊への道を歩むしかなくなる。そんな建築の定めに抗い、崩壊と生成の同時存在を問うた作品である。(山中新太郎)
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