真夏の昼の夢
着古した服のすそがほつれるように、ふと、日常の片隅に裂け目が生じることがある。
それは果てもない深さをもってはいるが、けしてどこか異なる世界とつながっているわけではない。いったん落ちこめば永久に抜け出せない、木の根元に開いた洞のようなものなのだ。
たしかあのとき、私はまだ小学校にも入っていなかった。
無口だが、好奇心は人一倍ある子供だった。あの幼年期特有の、漠然とした霊感のようなものをもっていて、ときたま視界の隅に名も知らない人の面影を見るのだった。
そのころは、祖母に連れられて、よくあちこちを旅した。祖母の気まぐれに、電車を乗りついで、遠くまで出かけるのである。私にはこの上ない楽しみだった。
暑い夏の日だった。
駅名は覚えていない。とにかく遠くまで来た、ということしか記憶にない。駅前の商店街を抜けて、広い公園に着いた。
そこで私は草っぱらのバッタを捕まえたり、きれいな蝶を追いかけたり、樹木にはりつくセミを見上げたりしていた。祖母は疲れたのか、ベンチに腰を下ろし、微笑しながらこちらを見ていた。ときどき私を呼んで、水筒の麦茶を飲ませてくれた。
とつぜん、冷たいものが顔にかかった。セミが私にいばりをひっかけて逃げたのである。私は驚き、そして逃げられたのにがっかりして、その場でうつむいた。
そのとき、目の前の木の根元に、洞がぽっかり口をあけているのを発見した。
いま考えれば、大した深さもなかったのだろうが、幼い目にはなぜだか、果てもない深さの、異なる世界につながっている穴のように見えた。
不安になって、振り向いた。
ベンチに座っているはずの祖母は手洗いに行ったのか、そこにいなかった。
私は吸い寄せられるように、もういちど穴のほうを見た。
気がつけば、よく知った庭だった。いつの間にか、家に帰ってきていたのか。
しかしあたりに人気はなかった。隣家にも気配がない。
私はまたしても不安になって、かねてよりお気に入りの植木鉢を探した。
それはいつもの場所、大きな蜜柑の木の近くにきちんとあった。
お気に入り、といっても、なんの変哲もないプラスチック製の植木鉢だし、とくべつ名のある植物を植えているわけでもない。ただそこらの土をたっぷり入れて、雑草の勝手に生えるがままにしておくのだ。私の幼い好奇心は、なぜだか名も知らない雑草に惹かれていた。
近所の同じ年頃の子供に、それを無意味なことだと馬鹿にされたことがある。私は無性に悔しくなって、発作的に植木鉢の中身をすべて捨ててしまった。
だが幾日かすると、なんとなくまた恋しくなってきて、土を鉢いっぱいに満たした。雑草は文句も言わず、次から次へと生えてきた。
私は植木鉢の中で、自分の孤独を育てていたのかもしれない。
雑草の生い茂る植木鉢を見つけた私は思わず、ほっとため息をひとつ吐いた。けれど依然として不可解な状況にいることは間違いがなかった。
そんなとき、上のほうから声が聞こえた。
ひとりぼっちの良太くん、だあれもいなくて途方に暮れてる……
さて、どうするのでしょうねえ。
知らない、大人の男の声。見上げても、そこには雲ひとつない青空が広がっているだけ。
幽霊かとも思ったが、怖くはなかった。あまりにもその台詞は的を射ており、かえって恐れる余地がなかったのだ。
私は声に対して何か言い返したくて、必死に言葉を探したが、そうしているうちに、視界がだんだんと薄ぼけてきて、やがて意識がとぎれた。
気がつけば、そこはもとの公園だった。私は洞をのぞいたまま、うたた寝をしていたらしい。振り向くと、祖母もベンチでこっくり、こっくりと頭を揺らしている。
私は早く家に帰りたくなって、立ち上がった。祖母もちょうど目を覚まして、私を呼んだ。
その日の出来事は、おおむね楽しい夏休みの思い出にまぎれ、しばらく私の記憶から姿を消した。
ここで終われば、幼き日の不思議な夢の話ということでおしまいになるのだろうが、本当に聞いてほしいのは、これからだ。
ほんの短い、まぼろしのような話であるにもかかわらず、私はこれを誰かに伝えたくてたまらない。そうしなければいられないなにかが、私の心の奥にある。
この夏のこと、私が庭の小さな蜜柑の木を剪定していると、足に何かが当たった。
あの植木鉢だった。すっかり古くなり、あちこちにヒビが入って、そこから土がこぼれ出ている。
思わずかがみこむと、その土の匂いがむわっと鼻腔に流れ込んできた。
私はふいに奇妙な感覚に襲われた。まず、植木鉢によって幼年期の記憶が呼び起こされ、それから、あの声を聞いたときの、不安と好奇心がないまぜになった気持ちが、一挙に押し寄せてきたのである。
あの声は、いったい誰だったのだろうか。幽霊だろうか。それとも。
私は思い出すままにつぶやいた。
ひとりぼっちの良太くん、だあれもいなくて途方に暮れてる……
さて、どうするのでしょうねえ。
はっとした。
そう、そうだ、たしか、こんな声だった。
私はあのとき、私の声を聞いていたのだ。あの幽霊は、私だった。間違いない。
しかし、どうして実際にそんなことがありえようか。わからない。
もう祖母も亡い。庭もすっかり様変わりした。あのころの記憶は少しずつ薄れてゆく。
だが確かに、過去と現在、二人の私は、この庭で邂逅したのだ。
とある神話によれば、自らの尾をくわえて円環を成し、世界をとりまく蛇がいるという。
もしかしたらあのとき、私もまた、自分の尾っぽをくわえてしまったのかもしれない。
あれから私は、あの公園を探している。
あの夏の日に行った、あの公園にある、あのセミのはりついていたあの木を。
あの木の根元の、ぽっかり空いたあの洞を。
あの洞を通って、あの幼き日に戻れるかもしれないなどと、淡く愚かな期待を抱きながら。
ひょっとしたら、途方に暮れているのは、今の私のほうなのかもしれない。
さて、どうするのでしょうねえ。