墓盗人
ある夜、一人の墓盗人が、人気もない街はずれの墓場へ、その汚い仕事をするためこっそりと忍びこんだ。
盗人にふさわしく、みすぼらしい身なりをした、とても醜い男である。
男は一つの墓石に目をつけると、用意していた道具を使い慣れた手つきでその下を掘り返し、そこに埋まっていた死体をみとめた。
美しく、若い女だった。
《きれいな女だ。ちぇ、これで死んでさえいなけりゃなあ、もったいない!》と男は思った。
女の死体は、宝石がちりばめられた見事な細工の装飾品で飾り付けられており、そのほかにも様々な副葬品が添えられていた。《こいつはさぞかし、高貴な身分だったんだろうなあ》と思いながら、男はその装飾品やら副葬品やらを手早く大きな布袋に入れた。
そして死者に向かって「生まれ変わったら幸せになりな!」と言うと、その場を立ち去ろうと歩き出した。
すると背後から、「お待ちなさい」という声がした。
盗人は突然の声にぎょっとしたが、ふりむいても誰もいない。だが《気のせいか。俺も焼きが回ったもんだ》と思っているそばから、
「お待ちなさい。妾(わたし)はあなたを呼んでいるのですよ」と声がする。
男は小さく震えると、恐るおそる自分の荒らした墓の方をよく見た。すると、青白い顔の美しい女が立ってこちらを見ている。
《死体が動いてらあ! まるで生きてるみてえに》男は気が動転して、急いで逃げようとしたが、腰が抜けてへなへなとその場に座り込んでしまった。そしてこう言った。
「おお、お姫様、どうぞ勘弁してください。盗みをはたらいたことは謝ります。ですが、こりゃあほんの出来心です。どうか、命だけはお助けを」
すると、女は答えた。
「妾はあなたが盗みをはたらいたことを怒ってはいません。たしかに墓荒らしは外道のすることですが、死んでいる妾には、高価な耳飾りも美しい宝石もなんの意味もありませんもの。それらの物が生きている誰かの心を喜ばせたほうが、むしろ嬉しいくらいですわ」
「そうですか」盗人は少し安心して、やっと立ち上がり、ほっと息をついた。《まったく、おかしなもんだ。死んだら分別の基準というやつも変わるのかね?》
「妾があなたを呼び留めたのはこういうことです」女は言った、「あなたのおかげで目が覚めてしまいましたから、ずいぶん暇ができてしまいましたの。死人というのはいちど目覚めると、再び眠りにつくのにしばらくかかります。そのあいだ、妾は退屈な時を過ごさねばなりません。ですから、あなたには、妾を起こした代償に、なにか愉しい、興味の尽きない話をしてもらいたいのです」
「たのしい話?」男は顔をしかめた。「あっしが、姫様に?」
「そうです。それと、妾は姫様ではありません。とある豪商の娘です。父は妾をとても愛していました。ですが妾が若くして死んだので、それをひどく悲しみ、手厚く葬ったのです」死人の女は続ける、「どうか妾が再び眠りにつくまでのあいだ、心を悦ばせるような物語を妾に聞かせてほしいのです。そうね、もしも妾の頼みを断るようでしたら、あなたにも妾たちの仲間に入ってもらいます」と言って女が顔を恐ろしくゆがませると、男は慌てて、
「お嬢さま、わかりました、ぜひとも語らせていただきます。きっとなにか、お気に召すような話をお聞かせできるかと思います」と言った。
すると女は自らの墓石にゆったりと腰かけ、話を聞く様子を見せた。
盗人はしばらくなにか思い出すような素振りを見せていたが、やがて次のような物語を語りはじめた。
『昔、むかしのことでございます。
いまは滅びたとある王国に、民から深く愛される立派な王と妃がいらっしゃいました。王は勇猛にして思慮深く、妃は厳格にして慈愛に満ちていました。
二人は長いあいだ子宝に恵まれませんでしたが、まじない師たちの祈祷によって、やっと玉のような男の子を授かりました。この美しい王子は、幼いころから聡明で、武勇にも秀でていました。彼は自由でした。春には広い野原を駆け回り、夏には川で疲れ果てるまで泳ぎ、秋には城の大図書館で読書に勤しみ、冬には雪に閉ざされた峻厳な山で瞑想に耽りました。
長じて王子は、立派な青年となりました。もはや誰もが王国の繁栄を確信しておりました。
ところが、そうはやすやすといかないのが人の世の定めでございます。
ある日とつぜん、隣国の覇王が王国に攻め入ってきたのでございます。王や王子の奮闘むなしく、瞬く間に城は炎につつまれ、王と妃はともに命を絶ち、かくして王国は滅亡、王子も流浪の身となり果てたのでございます』
「まあ、ひどいお話ですこと」と死者は同情して言った。
『王子は地上をさまよいました。ありとあらゆる危険な冒険を乗り越え、さらにたくましく成長した王子は、仲間を募り、各地で戦をし、かの憎き覇王から土地を取り戻していきました。そして王国が滅ぼされてからちょうど七年後、ついに覇王を討ち、自ら新たな王国の王となるに至ったのです。
天体が目に見えぬ法則によって運行してゆくかのごとく、すべての物事がつつがなく進んでゆくように思われました。
しかし、王にも一つの悩みがあったのです。それは妃がいないこと。いままで戦に明け暮れていたため、王は色恋を知らずにいたのです。大臣はそれを慮って高貴な女性を王に引き合わせましたが、王は恥ずかしさのあまりつまらぬ失態を起こして、お見合いを失敗してしまうのでした。王の力があれば無理にでも誰かを娶ることはできたでしょう。しかし純粋な王は、「どうせなら、清らかで美しい恋をしたいものだ」と夢想しておりましたし、かといって、力ずくでものにしたいほどの相手にも出逢っていなかったのです』
「それで、どうなりますの?」と女は問うた。話に夢中で、目の前の醜い盗人の風貌が少しずつ変化(へんげ)しつつあることに気づかなかった。
『さて、この新たな王国の城下町に一人の美しい娘がおりました。とある理由(わけ)で屋敷に閉じこもっていましたが、年頃の娘らしく無邪気なところもあり、ある晴れやかな日に窓の外をひらひらと舞っていた艶やかな模様の蝶を追って外に出たところ、それをたまたま行幸に出ておられた王に見染められ、彼の心をかき乱しました。
娘の父は宝石商人で、莫大な富を持っていました。王はこの男を宮廷に呼び、宝石を品定めするふりをしながら、何気なしにこう問いかけました。
「そなたにはとても可憐な娘がいるそうだな」
「はっ。仰られるとおり、わが娘はわたくしの持つ最上等の宝石、とても器量よしで並ぶものとてなく、気立ても大変よいのですが、ある夜、その美しさに嫉妬した嫉妬深い魔女から『一千回死んだ男でなければ、この女の恋人にはなれぬ』という呪いをかけられてしまったのです。いままで幾人も娘に近づいた男はいましたが、みな呪いのせいで忽ちのうちに死んでしまいます、王様、なんとか娘をどこかへ嫁にやることはできないでしょうか。娘の幸せを思うと、不憫でなりません」
「娘はいまどこにおるのだ」
「わたくしの屋敷に閉じこもっております」
「よろしい。では私がその呪いを解いてみせよう」
王は博識でしたので、すでに呪いの解法を見抜いていました。王は家来に命じて、とある秘薬の入った小瓶を持ってこさせると、それを懐に入れました。
そして王は宝石商人の屋敷に向かい、娘と会いました。近くでながめますと、それはいよいよまごう方なき絶世の美女で、王はますます恋に落ちてしまいました。実はそれは呪いの力でもあり、娘に会った男はたちまち恋に狂って死んでしまうのです。ですが王は強靭な肉体と精神を持ち合わせておりましたので、思ったより強い呪いであったものの、なんとか頓死はまぬがれました。
「そなたが呪いにかかった娘か」王は息も絶えだえに問いました。
「はい。そうでございます」娘は王を心配しながら、また自身も強い恋情に胸を焦がされながら言いました。彼女も王を一目見て恋に落ちたのです。
「そなたの呪いをすぐに解き、わが妻としたいところだが、私はもう長くない、もうすぐ死ぬだろう。だが呪いの解法は知っている。だからあえて魔女の呪いにかかったのだ。聞け……」
王は娘に呪いを解く方法を教えました。娘はそれを聞くとぽろぽろと涙をこぼしました。
「なぜ泣く」
「陛下のお苦しみを思うと」
「なに、これしきのこと、わが恋の苦しみに比べればなにほどもない。私は必ずそなたの呪いを解いてみせる」そして少し呻くと、「どうやら、もう駄目のようだ。では、これを受けとるがよい……」
王はそう言って娘に小瓶を渡し、ばたりと倒れました。
娘は父を大声で呼び、小瓶の中身の薬を飲みました。宝石商人が部屋に入ると、そこには王と娘の亡骸が横たわっていました。男は痛ましい光景を見、その場で泣き崩れました。
王の葬儀は盛大に執り行われました。娘の葬儀は身内でしめやかに行われました』
「悲しいお話ですわ」女は涙を流しながら言った。「あまりに救いがありませんわ。そのお話の教訓は、本当の愛は死によってしか成されない、ということ?」
そして盗人の顔をまともに見ると、驚きのあまり目を見開いた。
「恐れながら、お嬢さま、そうではございません」
そこにいたのは若々しく、美しい男だった。
「偽りの死、それこそが、呪いを解く鍵であったのでございます」
「その顔、どこかで……」
「王の魂は死んで冥界をさまよったあと、再び輪廻の巡りの中に組み入れられました。あるときは地を這う獣、またあるときは海を泳ぐ魚、そしてまたあるときは樹木にはりつく虫……こうして王の魂は何度も何度も生まれ変わり、また死んでいったのです。一千回も……。そして実は、娘のほうは死んではいませんでした。あの小瓶に入った薬は秘薬中の秘薬、愛の眠り薬といって、飲んだ者はたちまち眠りに落ち、その者は愛する者から声をかけられない限り目を覚まさず、しかも眠っている間なら、たとえどんなことがあろうと安全、死をも免れる――そういった効力をもつ薬だったのです。古代の人々はしばしば恋人を守るため、この秘薬を使ったといいます」
「つまり、その娘は死者ではなく、ただ永いあいだ眠っていただけで、あなたは墓泥棒などではなく……」
「いや、私は確かに盗人であったのだ、つい先ほどまで」美しい墓盗人の口調はがらりと変わった。「しかしそなたに乞われて、自然と口をついて出たこの物語、これを語るうち、思い出したのだ、はるか以前の約束を。必ずやそなたの呪いを解くという約束を。思えば、気の遠くなるほど長い旅であった。わが王国も滅び、もはやかつての面影すらない。われらのことを覚えている者など、最も老いたものの中にもおらぬだろう。しかしわが魂はいつもそなたを求めていたのだ。互いにまだ名も知らぬ身なれど、確かにわれらは恋に落ちた。そして、もしかしたら地の果てまで続くのではないかと思われる時間を、ひょっとしたら永劫ではなかろうかと感じられる距離を克服したのだ。私はこう思っている、時間と距離はいつか、どこかのある一点で交わると。それと同じように、われらもついに出逢うことができた」
「陛下、お許しください。妾は忘れておりました、その約束を。永い夢の中で、いつのまにやら自分を本当の死者と思い込んでいたのです。時とは、距離とは、かくも恐ろしく、不思議なものなのでございますね。墓盗人は王で、死者は呪いをかけられた娘。死んでいたのは陛下で、生きていたのは妾。そして二人、知らず知らずのうちに、自分たちの物語を語り、聞いていた……。陛下、教えてください、陛下のお名前を。妾の名前は……」
娘は名乗った。王もそれに応えて自らの名を明らかにした。王は王女に手を差し伸べ、王女はそれを悦びに震える華奢な腕(かいな)で受けた。
その瞬間、呪いはついに解け、恋人たちは月光のなか手を取り合って静かに、しずかに歩みはじめた。