作家と狂人
その男は一編の小説も書かない。しかし彼は作家と呼ばれていた。古机の上の、黄ばんだ原稿用紙の前で、男は静かに黙していた。
――小説を書くのですか、と私はその男に訊ねた。
――矛盾についての小説です、と男は答えた。どうして矛盾というものが生じるのか、どうして矛盾は人を魅了するのか。それに答える小説です。そして、これは狂気についての研究でもあります。
――狂気。
――矛盾に関心をもつことは、いわば一種の狂気です。また、自分は無矛盾の岸辺に立っていると確信しているという点において、彼はすでに狂人です。しかし矛盾が、狂気が、前進もしくは後進の原動力となり得るということも一つの現実です。現実というのは、私の認識することができる時間と空間のことではなく、感覚と知覚でとらえられぬある法則の集積、または体系です。矛盾はこの現実の中に存在しています。私が狂気と呼ぶのは、決してとらえ得ぬことを、あえてとらえようと欲するからで、実はその探求こそが答えであり、やはり矛盾であるのです。
――あなたは、決してとらえられぬものをとらえようというのですか。
――いや。矛盾をつくり、目の前に置くことはできます。矛盾したものや状況というのはつくり易いものです。相当の注意を払わないかぎり、矛盾は意図せずして目の前に現れます。では、こうして現れた矛盾のことを、あの人を魅了する矛盾と同列に置くことはできるのでしょうか。それが、真につくり出されたものであると言えるのでしょうか。私はそのことについて考えました。言葉の上での矛盾。論理の矛盾。修辞の矛盾。しかしこのような矛盾は、悪魔の側から来た影に過ぎません。
――悪魔。
――それは、いわば言葉の魔というものです。人が言葉を認識する、その仕組みの中に宿命的に潜んでいる魔で、それを言葉によって拒絶したり追放することなどできません。ですから、一見、つくり出されたようにみえる矛盾は、法則の影であって、その虜となることは、現実への探求の断念です。
――やはりあなたは、とらえられぬものをとらえようとしている。
――いや。むしろ黙っていた方がよいのです。そうすることによって、私はとらえようとすることを続けることができる。一編の詩も、一編の小説も、私の渇きをいやすことはないでしょう。しかし一杯の水にしても、喉を潤すだけで、さしたる違いはありません。生きている限り矛盾を探求することを選んだ以上、私はまぎれもなく狂人です。そして沈黙によって暗示をすることだけが私の現実的な方法になった。この机は私が時を止めた時から腐り始めています。このまっさらだった紙も、端から徐々に黄ばみ始めました。私はもう老いず、死ぬこともない。しかしこの肉体は朽ちるでしょう。肉体は狂わないから。病と狂気は紙一重のところでやはり異なっているのです。病は究極的に肉体を死滅させるが、狂気は永続的に矛盾を志向し、暗示し続けます。私という個の特性は時とともに消滅しますが、現実という体系の中に私だったものは一滴の汚点として残る。
――私には、あなたが若いのか老いているのか判断がつきません。
――私は亡霊です。時間と空間の推移を拒絶してしまった狂人です。あなたが私と話しているということもまた矛盾です。言葉の上での、悪魔の影に過ぎませんが。問いかける人よ。あなたは問うこと、私は答えることしかできないのです。
――それは、何故なのでしょう。
――私が黙する者で、あなたが語る者だからです。
――私に問いかけはしないのですか。
――いや。あなたの答えはまさに問いの中に含まれていますから、私は問う必要がなく、あなたは答える必要がないのです。私は問わないことで答えている。あなたは答えないことで問うている。問う人よ、あなたは必ずや小説を紙に書くことができるでしょう。しかしどんな小説の一編も、狂人を満足させるには足りないのです。私はあなたを決して狂人だとは思いません。私という狂人にむけて問いかけていることがその動かぬ証拠です。
――矛盾しているのではありませんか。私は作家ではありませんよ。
――いや。小説を書くことのできる者を作家と呼ぶことは、悪魔の放った影なのです。私を作家と呼ぶのは狂人だけですが、私はあなたを作家とは呼びません。言葉の矛盾に黙して対峙する者こそ、作家であると思うからです。決してとらえられない現実を、矛盾を、追及することが、作家の唯一の原動力なのです。
――しかし、私は何を書くべきなのでしょう。
――悪魔の影と戯れることです。私は作家であり、亡霊であり、悪魔であり、狂人なのです。これは、矛盾しない唯一の現実です。さあ、そろそろ夢も終わりです。さようなら、おやすみなさい。