思考の言語化のステージと共有可能性
を自分なりに考えてみる
table:言語化の状態
ステージ 状態 留まるリスク
①頭の中 誰も読めない状態 まるごと忘却する
②洗い出し そのままでは読めない状態 文脈を喪失する
③フレーズ化 自分が読める状態 他者に伝達不可能
④構造化 文脈を共有する人が読める状態 理解が仲間内に留まる
⑤文章化 誰でも読める状態 -
※ステージの名前は便宜上のもの(どこかに適切な言い回しがあるに違いないが、引っ張ってこれないのでとりあえず自分の認識を並べた)
※スマホなどで横が切れる場合は行ごとにスワイプすれば見れる、ようになっているはず。(UserCSSによって)
「洗い出し」での「そのままでは読めない状態」とは、まだ頭の中に留まっている文脈・イメージの力を借りなければ、洗い出された言葉を解釈することができないという意味
日が経つとだんだん意味がわからなくなってくる(あるいは、別の意味に変わっていってしまう)
言語化されていない部分が自分にとってあまりにも自明のことであれば洗い出しの状態でもずっと認識可能であり続けるかもしれないが、つまりそういう条件が整っていない限りは自分にとってさえ解釈が難しい状態ということ
他人との共有に意味を成すのは「構造化」ステージ以降
つまり、読んで意味が分かる短文によってアウトライン(またはそれに類する構造)が形成されている状態
もしくは更に手を加えてきちんと文章化された状態
「フレーズ化」のステージでも、他者に刺激をもたらすことにはなる
が、自分の言いたいことが伝わるわけではない
読み手それぞれが勝手に連想ゲームをする状態
「構造化」以降でも連想ゲームは発生するが、「フレーズ化」のステージだと連想ゲーム"しか"できない
相手の思考回路について余程の理解が無い限り
それ以前のステージだと、他者からすると得られるものがあまりない
得ようとすれば何かしらのものは得られるかもしれないが、恐らく効率が悪すぎてそこに注力はしない
コミュニケーションとしてあまり成り立たない