人の話を信じ過ぎない、疑い過ぎない
考えたい対象
誰かの何かを見た時に「尤もだ!」「いや間違ってる!」「もう何も信じられない」みたいな揺れ動きをすることについて
精神的に動揺が激しすぎて疲れると思う
つまり基本的には個人が人の主張を読むというシチュエーションの話
人の話とは
絶対に未完成・不完全である
誰も全知全能の神ではないので
不可避の不完全さ
話の前提となるものが不完全
論じる対象の情報自体が正確でない
例えば自己分析がうまくいかないのもそう
自分しか知らない情報は膨大にあるが、しかし自分ですら自分の全てを把握することはできない
誤解した自己像を元に仮説を組み上げても、正しい結論には至らない(しかし100%誤りでもない)
誰にも森羅万象を網羅することはできない
論理の展開が不完全
人類はまだこの世に存在する全ての現象を認識できてはいないように、「まだ判断し得ないもの」がそこかしこにある
「比較的高い確率でこれは正しいであろう」としか言えない
精度を高められる人とそうでない人とはいるが、全てに対して100%の正しさで考えられる人間はいない
「間違っている」とはどういうことか
話の前提についての情報収集が不足しているために、成立しない論理を導き出してしまう
→偏見で物を語っている!ということになる
頑なに信じ込んでいるパターン(=偏見)
自分の解像度の低さを認めることが耐え難い場合
自分に強い影響を及ぼした存在の価値観を疑うことが難しい場合
単に想像が及ばずに気づかなかったパターン
個人の性質として早合点の癖がある場合
誰にとっても情報収集が困難なものを対象としている場合
経験を積むのに時間がかかる
調査をするのに時間がかかる
「AならばBである」ということが必ず成り立つわけではない可能性を無視しているために、成立しない論理を導き出してしまう
→短絡的で浅はかだ!ということになる
話している個人が短絡的なパターン
人類全体の理解がまだ及んでいないパターン
例未発見・未特定の病気
つまり
個人レベルではどうにもしようがない誤りがある
→その場合「間違っているじゃないか!」と言って個人を攻撃したり個人への信頼を捨てたりするのは妥当な判断ではない
個人または学問の成長によって改められていく誤りがある
→誤ったこと自体よりも改める方向に行かないことが問題
「間違い」は「100%間違い」なのか
大前提がすっかりひっくり返ったら根本的に間違いみたいなことにはなる
よって「仮説が出た以上、必ずいくらかは合っているはずだ」と考えるべきではない
「火のないところに煙は立たない」という言葉の迷惑さ
しかし、複数要素があるうちの一つの誤りで全てを無価値と見なすのも極端過ぎる
学校で習ったことが後年になって一部改められてしまったとき、「当時の教育なんて何の意味もないじゃないか!」とか言い出すのは妥当ではない
極端な判断から解放されるには
話をしている人がどれだけのことを知りうるのかを勘定する
その人の経験上では正しく思えるからその人はそう話している
つまり条件を限定していったときその人の話がおおよそ正しくなるポイントがある
どういう条件で絞り込まれた結果のその話なのか
誰かの話に対して「正しいところは多そうだが、100%ではないかもしれないな」と判断することを後ろめたく思わない
100%信じることが「良いこと」ではないし「礼儀」でもない
そもそも、「これは正しいに違いない」と思うということは、自分の判断力を過信していることにほかならない
誰が正しいかということ自体を100%正しく判断などできないのだから、「正しいに違いない」という判断は必然的に極端である
100%正しいとしたらこういうことになるのだろうか、と思索していくことは重要だが、あくまでIFの話である
「間違いがあるとしたらこのあたりに隙がありそうだな」という見当をつけておきながら、「とりあえず正しいものとして考えてみよう」ということを自覚的に選択する
間違いを直ちに指摘できなくても別に良い(批判を表明するとかしない限りは)
他者ではなく真理に対して最も誠実になろうとする
人間は全て不完全
真理は厳然として在る
※
当然だが他者を蔑ろにして良いという話ではない
しかし個人への義理立てを優先して真理の追求が疎かになれば、信じるとか信じられないとかいうことに振り回されることになる
個々人の感覚の中にも真理は姿を見せる
誰かの語る言葉そのものより、その人の経験の中ではその人はそう感じたのだという全体を眺める必要
人間の不完全さというのは人間の認識・思考の不完全さであって、或る条件の中で或る思考が生じたということ自体はこの世の理によってもたらされた真実
よって、今この人・自分・人類はどの程度真理に近づき得るだろうかという観点で確からしさを判定する
確からしさの判定自体が正しく行うことの不可能なものなので、具体的な数値で測ろうとはしない
ある程度はガイドとなる基準を作れるかもしれないが、100%有効な基準などあり得ないので基準に頼りすぎない
判断が中途半端であることを恐れない
中途半端なのが当たり前なのであって、正確に導けると思うのは傲慢
中途半端でも何かを決断しなければならないとき、そこに何かを「懸ける」ということが生じる
何かを懸けなければならない状況・立場なのか、そうではないのか
懸けなくていいときには懸けない
言葉を発する度に自分の人生やら誇りやらを懸けていたら身がもたない