▽美しい文章は完全武装をしていない
旧題:美しい文章を書くには「身を守らない」こと
rashita2:ついつい細かいことを書きたくなる気持ちと、本文に大量に引用をつっこみたくなる気持ちを抑える。その「書きたさ」はだいたい防衛的な反応にすぎない。
nora.icon「誤解されないように」「変な攻撃されないように」と先回りして書きたくなる。つまり相手の口を封じておきたい。「努力次第で減らせる(かもしれない)ストレス源」を減らすために、ものすごい労力を使ってしまうことがある。
nora.icon実際、要らぬ誤解や「殴れそう」と思わせる隙によって誰かに何かをされることはストレスになってしまうから予め防ぎたい。しかし、もしそういう一切を「取るに足らないこと」と思えるならば、防御コストが大きく浮くことになるし、その労力は別の生産性のある用途に振り向けられるのだよなあ。
nora.icon自分はこれくらいちゃんと物を考えてから言っているのですよ、を示したくなることもある。それは、人に侮られることが嫌だからだ。嫌だなといちいち感じるから、そうされないように相手の口にテープを貼っておきたくなる。侮辱は連鎖するという実感もあるから。
nora.icon完全武装の文章は、読んでいて感心するが、しかしそういう文章を「美しい」と思えることはほとんどない。余白がなく、余韻がない。「美しい」などという尺度が必要ない文章と、逆に「美しい」ことこそが価値を持つ文章があることは意識しておかなければと思う。