▽私的空間の外での「偏見の共有」は他罰傾向を加速するに違いない
nora.icon「女ってのはいっつもこうだ!」みたいな話、自分がそれに当てはまることがあんまりないので「女」でくくらないでほしいと思うけど、「そういう女」は実際しばしば見るのでその気持ち自体の否定はしがたい。が、問題は事実かどうかではなく、そういう他罰的で全く無益で稚拙な話を堂々とすることよね。
nora.icon主語の大きさの問題は、「そういう女」に範囲を限定する名前を付ければとりあえず解消することになってしまうけど、それはただのレッテル貼りだし何の解決にもならない。「で、それ言ってどうするの?」という、主語のデカさ以前の話に思える。大の大人が私的空間を出た場所でしていい話ではない。 nora.icon「そういう女」あるいは「そういう男」と表現したくなるような、何かしら周囲に理不尽をばら撒いている人間はいるだろうしある程度パターンが見えてしまうが、あらゆる対象について「そういうやつはいっつもこうだ」という指摘は何も意味をなさないし、何も意味をなさない話は私的空間に限ってほしい。
nora.icon主語のコントロールとか解像度の上げ下げとかの「認識」の話は高度過ぎて万人に行き渡るとは思えない。それよりも、偏見は学習の結果だから「偏見の共有」が私的空間の外で当然に行われている幼稚さをどうにかしてほしい。