▽知的深度が一致し人格の種類は異なる存在はありがたい
rashita2:まったく違い過ぎる人だと意志疎通が難しく、似過ぎている人だと差異が見えてこない。ある程度共通点があって、それでもかなり違う人との対話の中で、自/他が浮かび上がってくる感覚がある。
nora.icon既に自分で気がついている自己の言語化の手がかりとしては似た人の存在が大きなヒントになるけど、まだ気がついていない自己または他者理解についてはやはり「意思疎通がスムーズなくらい知的深度(※造語)が似ているのに人格の種類が明らかに違う人」の存在が不可欠だなという実感がある… nora.iconそういう相互作用を引き起こせる友人とやり取りしていると、なんというか、「理解力」に比例する要素だと思っていたことが別に全然そういうことではなかったみたいな場面に遭遇して面白いし、同時に自分の偏見というものが一体どこに潜んでいるのか本当に自分ではわからないのだと突きつけられる。