▽IT化についていけない人が持っている(かもしれない)恐怖
経緯
からのツリーを見て
nora.iconうちの親は「変なことしたら壊れるかもしれない」「間違ったら元に戻らないかもしれない」「何がどうなっているのかわからなくて想定外のことが起きたときに対処できないと予測されるから触れない」という恐れがハードルになっていて、それもまあ尤もだな、と感じている。
nora.icon自分が機械をわけもわからず駄目にしてしまう恐れ。例えば子育てをしたことがなく子どもに触れ合う機会が皆無だった人がいきなり赤ちゃんを持たされたら、自分のたったひとつの選択によって不可逆的な大惨事を招いてしまうかもしれないと思う、(うちの親は)それと似た恐怖に怯えている。
nora.icon赤ちゃんへの関わり方を教えるにしても、程度がわかる人間は「このくらいは普通に大丈夫ですよ」と言えるけれど、しかし実際に「これは命に関わりますよ」に繋がるラインはあって、そのラインが直感的にわかるか、馴染みのなさゆえに全く感じ取れないか、ということが発生する。
nora.icon自分はそのラインを全く感じ取れない、という自覚がある状態で、それでも赤ちゃんを持たされ続けるのはとんでもないストレスになるだろうし、一刻も早く手放したくなるだろう。そういう状態の人にどう教えるべきかは本当に難しいけど、少なくとも「恐怖」は理解しないと何も進まない気はしている。
nora.icon直感を一向に獲得できないのは、物の変化として認識できるものが物理的なものに限られているからだろう。パソコンは無理でも車は運転できるしコンポでCDを聴ける人はたくさんいる。操作の結果が物理的に明らかだからだ。後から物理的でないものについて変化を認識できるようになるというのは相当難題。
nora.icon逆にデジタルに偏りすぎているわれわれは物理的な直感が働かなくて困ることがある。頭の悪さや柔軟性のなさの問題ではなく(それが全く無いとは言わない)、加減がわからないという問題を解消するのには安全が保証された環境で継続的にトライアルアンドエラーを繰り返す必要があるという課題がある…。
nora.icon「安全が保証されている感」が、馴染みのある人とない人との間でとてつもなく距離がある。デジタルなものに限らず。
まあ、デジタル音痴にも色々な種類と理由があるんだろうけども。
「愚か者」「怠け者」のレッテルは安易に貼らないようにということだけ気をつけている。