▼今の社会環境では「わからないでいる」に耐えられるはずもない
nora.icon「わからないでいる」という状態に耐えられない人間は「わからないでいる」を乗り越えなくとも意味がわかるものに飛びつく。「わからないでいる」を乗り越えることなくわかる程度のものが真理のはずなんかないのに。(それで真理に辿り着くなら釈迦は苦労していない。)
nora.icon「わからないでいる」に耐えられないのは元から多くの人がそうだったと思うが、「ググる」が当然のことになって以降、「わからないでいる」を乗り越えずとも「わかった」と言えてしまうことが増えて、その態度が未熟であることを認識することすらないパターンが激増した(かもしれないが確証はない)。
nora.icon「質問に答えられない」「今出された単語を知らない」という状況があまりにもその人間の価値を揺るがす環境だと「わからないでいる」に耐えられるはずもない…。「流行」はその点で恐ろしいものだし、自己の確立に関心のない国では尚更強すぎる毒だと思う。
nora.icon「わからないもの」を「調べていないからわからないもの」「アンテナを張ってキャッチしていないから知らないもの」でしかないと思っていると、「わかるためには考える時間が時には年単位で必要になる」という発想が生まれないしその意味が全くわからないだろうと思う。