▼アウトライナーとは何か問題
nora.iconアウトライナーでできること、性質そのものはアウトライナーに置いた項目に依存しているような気がしているが、何か言えそうという気配は色濃く漂っている。むしろアウトライナーに置くことで生じないものはなんなんだろう。 nora.icon例えば階層化というのは、ここに階層が生まれるということを感じるから生じる要求であって、アウトライナーで行っていることは「階層化させる」というよりは「階層化したい気分を自覚しやすく、且つそれを直ちに表現できる」みたいなイメージなんだけど、なんかもっとこう何かないかとなってるのが今。
nora.iconまず何かをそこに置く、そして機能として階層化ということができるので、これについて階層を作れませんかとツールが語りかけてくる、そこで「そうかもしれない」と思って階層にする。ツールがなくとも階層化は認識の方法として私たちに備わっているけれど、コントロールできるほど習熟していない感じ。
nora.icon順序を変えるとか階層にするとかいうことは、元々知っている概念だけど、物理的に実体を持つものでその試行錯誤をすることは手間のコストがかかりすぎて「より良い形態」を追求し続けることが難しい。アウトライナーはそれが極めて低コストで模索できる。その模索はあまりに基礎的で、言語化しにくい。
nora.icon「しっくりくる姿を探す」ということをやっている気がする。同じ模索を部屋の様子について行うならそれは模様替えということになるが、模様替えとはつまり何をやっていることだと言えるだろうか。
nora.icon模様替えというのはちょっと大雑把過ぎたかもしれないけど、どこに何をどう設置するのがいいかを考えていることのような気がする。そしてそこに化学反応が起きるかもしれないしそれを期待することはあるけど、化学反応のためにやってるわけでもない。目的はもっと広いよね。
nora.icon「構造化する」の手前に「居場所を与える」があるイメージかも。適所探しが結果的に構造化になるし、構造化によって何かが形になりだしてまた結果的に文章やシステムの骨格になるかもしれないが、それはそういう結果に至らせることもできるという話で、それがゴールにならなくてはならないのでもない。
nora.iconアウトライナーが何のためのツールかというより、やはり「アウトライナー○○法」という感じで、アウトライナーに何かを掛け合わせればこうなる、というのを整理していくのが私の中ではアウトライナーを定義する上では現実的な扱い方かも。
nora.icon「アウトライナーはなんのためのツールか」は「人生はなんのためのものか」くらい広いのかも? 「アウトライナーでできることは何か」は「人生でできることは何か」くらい全方位的なのかも。しかし何か言えなくはない。でも納得できる言い回しはかなり抽象的にならざるを得ない気がしなくもない。
nora.icon人間は幼児の時点で既にそうするようにもともと積み木遊びのように物や事を組み替えて認識したり創造したり遊んだりする生き物であって、しかし積み木以外のものは簡単に組み替えられないので認識も創造も遊びも制限されており、それを(形式の制限はありつつも)解放してくれるのがアウトライナー?
nora.iconアウトライナーがあれば色々なことができるようになる、というよりは、日常が制限されていて、アウトライナーを使えばその一部について"本来できること"を取り戻すことができるイメージがあるかもしれない。しかし自分の中の解放からズレたことを無理してやろうとすると余計混乱する(経験者は語る)。
nora.iconアウトライナーって、アウトライナーという名前が覆っている範囲より広い範囲のことができるからアウトライナーという名前に立ち返るとはみ出る部分がすごく多そう。
nora.iconアウトライナーは「根」っぽいということをちょっと前に言ったけど、伸びていく過程はやっぱり根っぽいんだけど組み替える過程は積み木だなと思うし、両方を兼ねる具象イメージがあるとすれば今のところ私の中ではレゴブロックになるかなあ。