note|手帳の使い方ド下手問題
行動の起点、つまり「手帳や手帳術を見る」「手帳を買ったり手帳術を取り入れたりする」「断念する」の動機となっているものが、常に「なんとなく」なんですよね。
フォーマットにハマれない
365日24時間、同じ紙面に書き込んで納得できるほど自分自身が安定していない
私の手帳に対する要求は鋼でできたアメーバのような厄介なシロモノなのだと気がつきました。すぐ逃げるところを考えると、はぐれメタルみたいなものでしょうか。
気楽に書き込めない
心理的ハードルというものを作っている自分の中の無意識の気持ちになって考えてみると、単に「これには書き込みたくない」んじゃないのかなと。なんか嫌なんですよ、多分。つまり、いつも私の無意識は「そうじゃない」と私の意識に訴えていて、無意識のストライキの結果なんとなく書き込めなくなりもやもやしながら手帳から遠ざかってしまうのではないかなと。
そして
手帳術というのは全部が工夫で出来ているような、工夫の濃度が高いジャンル
そう気づいたことにより
私にとって手帳術とは「鑑賞するもの」として落ち着きました。
本当に私に必要な手帳とは
自分に必要な手帳はもっと無骨で淡々としたもの
重視しているポイントは
1. 書き込みやすい
作りがちゃんとしていて扱いやすく、物理的に開き易くて、余計な罫などがなく、気を使わずにガサガサ書けるもの。
2. 見返しやすい
ピシっとしていて紙面がグラグラしたりせず、自分のルールで整理できるもの。
3. 保管しやすい
サイズが一般的なもので余計な厚みがなく、棚や箱にすっきり収まるもの。
これを徹底する必要がある
私にしか通用しない、他の人の参考にはならない手帳。私はそこまでやらないと手帳と仲良くなれないなと。
そして
(「見るもの」から)「使うもの」としての手帳を切り分け、自分の無意識と対話しながら突き詰めていった結果、人には全く勧められないような自分ルールに満ちた奇怪な手帳らしき何かができてきました。
その結果
手帳に書き込むという行為の難易度が下がって普通に書きたい時に書けるようになってくると、ちゃんとその中身に集中できるようになりました。「どう書くか」じゃなくて、「何を書いたか」です。