Lab|投稿画面は筆が進む
これは自己分析を試みているだけの文章です。
私はどうも書く「場」の力を借りないとうまく書けないらしい。
具体的にどういうことに困っているかというと、
ブログにしろnoteにしろその「場」の投稿画面を開かないといまいち文章が思い浮かばない。 もっと言うと、
アイデアを記録するための「場」と文章化の「場」の共有はキーボードを叩く手を鈍らせる。
その原因は何か。
1. CSSの見た目が「情報まとめ」用になっている
2. 単語・フレーズで整理する(=切断のベクトル)場では文章(=融合のベクトル)を扱いにくい
→「有機度」みたいなものが情報化の場と文章化の場で違っている?
情報の整理とは、有機的に存在しているものを一度分解して無機的なパーツにバラし、再び別な手続きで有機的に組み直すことのように思う。人と人との間で情報を伝達するには必ず有機的な形でなければならないが、有機的に組んでいる箇所は服薬ゼリーのようなもので、飲み込んだら本体から外されていくことになる。(中略)そして単純な話、服薬ゼリーを取り除く作業をする場所と、服薬ゼリーを作って薬を包み込む作業をする場所とは、同じ形をしているはずがない。
更に、投稿画面が文章化を促進してくれるということもある。
1. 投稿画面は文章を書きやすいようなデザインになっている
2. 実際に投稿したときの画面をすぐに確認できる
3. 投稿画面に書く=書けたら投稿する、という紐付けがはっきりしている
更に――むしろここからが重要かもしれないのだが――執筆作業のためのアウトラインと、情報整理のためのアウトラインもまた、はっきりと場所を分けなくてはならないのかもしれない。
思い返せば、インプットとアウトプット(主に小説のプロットづくり)の両方をやろうとし始めた時点で破綻しているような気がする。それはどちらかの用途がアウトライナー向きでなかったということではなく、「同じ場所で」「両方向を」やろうとしたことがまずかったのではないか。 アウトラインは絶対に必要。
何かを書くためには、アウトラインの作成はどうしても必要である。行きあたりばったりで書くと、「使えない名文」をうっかり生み出して困ったことになる。捨てられないが使えない文章は、その処遇に迷うということも含めて大きなロスになるのである。