ドーパミン中毒
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幸福論の要素強めだけど色んな患者の事例載ってて依存のメカニズムの解明とか面白かったnolimitakira.icon*3
依存症になる一番の危険因子として、その”ドラッグ”(麻薬などの薬物とその他依存症をもたらすもの・行動をまとめてこう呼ぶことにしよう)へのアクセスのしやすさがある。簡単に手を出せてしまう場合に、私たちはやってみようと思ってしまうのだ。試してしまうことで依存症になる確率は上がってしまう。
禁酒法はアルコール依存症になるアメリカ人の数を激減させた。当時は依存症の治療法などまったくなかったのにも関わらず、この時期、公共の場で酔っ払って事件を起こしたりアルコールの摂りすぎで肝臓病になったりする割合が半分に減った。
もちろん禁酒法は、犯罪組織により大規模な闇市場が形成されてしまうなど予期せぬ結果ももたらした。しかし、アルコール摂取やそれに関連した持病について、禁酒法がもたらしたよい影響の方はあまり知られていない。
禁酒法による飲酒減少という効果は1950年代まで続いた。しかしその後の30年は再びアルコールが手に入りやすくなり、消費量は着実に上がっていった。
充分に長く待てば、脳は(通常は)ドラッグがもう来ないことに最適応し、元のホメオスタシスを取り戻すことができる。シーソーが水平に戻るのである。水平になれば再び、日常のシンプルな報酬に喜びを感じられるようになる。散歩に出る喜び。日の出を見る喜び。友達との食事の楽しみ。それらに気付けるようになる。
資源が乏しいと人は目先の利益に囚われ、少し先の未来に報酬が本当にやってくるかどうか自信が持てなくなるというのは直感的に理解できる。問題は、なぜ物質的な資源が豊富にある豊かな国に暮らしている人の多くが、それにもかかわらず「欠乏状態のマインドセット」で生活しているのかということだ。
物質的に豊かでありすぎることは、少なすぎることと同じくらい良くないことなのだ。ドーパミンが過剰に分泌されると報酬を遅らせる能力が損なわれる。
どうかあなたに与えられた人生に、どっぷり浸かる方法を見つけてほしい。逃げようとしていることがなんであれ、そこから逃げるのをやめ、むしろ立ち止まり、方向を変えて直視してみてほしい。そして、そこに向かって歩いていってほしい。そうすることで世界はあなたにとって逃げる必要のない、不思議で畏敬の念を抱かせるものとして姿を現すかもしれない。逃げるどころか、世界は注意を向けるに値する存在になるかもしれない。
シーソーのいいバランスを見つけ、維持することで得られる報酬は、すぐ得られるものではないし永続するものでもない。忍耐とメンテナンスが必要とされるのだ。何が先にあるかわからなくとも前へ進んでいく意志がなければならない。この瞬間には何の影響もないように見える今日の自分の行動が、実際にはいい方向へ向かって積み上がっており、それが未来のいつかわからない時に明らかになる———という信念を持てばいいのだ。本当は実践というのは毎日のものである。