第二派フェミニズム
1960 年代以降の新たなフェミニズムのうねり
原動力は、家庭に閉じ込められていた主婦
「個人的なことは政治的なことである」 が重要なスローガン
家庭内で起こることは公の場で語り、共有する価値のある問題だ、ということ
1963 年、ベティ・フリーダンによる 『新しい女性の創造』 で、「名前のない問題」 が提起
結婚や家庭生活に縛られた女性の、日々生きている実感を得られないという不満
女性たちが、自分が感じる不満が共通のものであると気づき、変革のうねりとなった
1960 年代は公民権運動が盛り上がっていた時期
1963 年には平等賃金法 (Equal Pay Act) が可決
ベティ・フリーダンは特に女性の労働問題を重視
雇用差別の撤廃に向けて動いた
全米女性組織 (NOW : National Organization for Woman) を設立
フリーダンの運動は、第一波フェミニズムのリベラル・フェミニズムの流れをくむもの
男性と同等の権利を獲得することが目的
この運動では、レズビアンをラベンダー色の脅威と呼んで排除しようとした
リベラル・フェミニズムの特徴として同性愛に対する差別意識がある
それに対抗したレズビアンたちは、自らをラディカレズビアンズ (Radicalesbians) と名乗った
性革命とも一定の距離を置いていた
参考文献
クィア・アクティビズム ― はじめて学ぶ <クィア・スタディーズ> のために