戦闘民族としてのフェミニスト
戦闘民族としてのフェミニスト
「戦いたい」 と 「愛したい」 が混ざっちゃったハイブリッドが孫悟空
悟空は戦うことがコミュニケーション
フェミニストも同じで、たとえ意見がわかれても戦うことが気持ちいい
傷つきが原動力になっていないフェミニストもいる
言語はコミュニケーションのために存在するわけではなく、コミュニケーションのために言語を手懐けている、という解釈
言語は自動機械
言語がコミュニケーション機能を逸脱してそれ自体として走り始めるとき → 「戦争機械」 としての言語の側面
言語を使わなくてもコミュニケーションできる人間と言語の自動性の組み合わせがハイブリッド
戦闘民族の気持ちよさが傷つきとコミュニケーションの問題に矮小化されたくない
フェミニストの中で、そういう戦闘民族が絶滅危惧種になっている
共感民族だけだとファシズムになってしまう
参考文献
欲望会議 「超」 ポリコレ宣言