HIV/AIDS と性的マイノリティ
HIV/AIDS と性的マイノリティ
HIV/AIDS から最も大きな影響を受けた性的マイノリティが、病気とどのように向き合ったか、その結果どのような運動や思想が生み出されたか
1981 年、AIDS の原因が究明されていない時期に、Ronald Reagan (ロナルド・レーガン) が新たな大統領に
小さな政府を目指したため、医療福祉政策にも打撃 (予算削減)
研究所での HIV/AIDS の研究資金も不足することに
謎の疾患として AIDS が広がっていく中、レズビアンやゲイたちは素早く対応
1982 年、GMHC (Gay Men's Health Crisis) が誕生
セーファー・セックスという予防法
政治や世の中は HIV/AIDS に対して厳しかった
ゲイの病とされ、治療法や治療薬の整備を後回しにされた
当初はゲイ関連免疫不全 (GRID) と呼ばれていた
1984 年、サンフランシスコ公衆衛生局は市内の 14 のバスハウスを営業停止に
バスハウスはゲイの性的出会いの場
HIV 予防に対して、同性同士の性行為に言及する人や団体に一切資金が出なくなった
医学的知識がある程度整備された 1980 年代後半以降も、ゲイは HIV/AIDS のハイリスクグループとして科学者グループから抑圧的な扱い
エイズ・パニック
ゲイコミュニティは、それまでの社会運動で培ったゲイとしてのアイデンティティだけではこの問題に対処できないのではないかと考え始める
HIV は人間を差別することはない
ゲイとしての自覚や誇りが HIV 感染を防ぐわけではない
ゲイとしてのアイデンティティを重視する社会運動の限界 → クィア・スタディーズの視座へ
エイズ・アクティビズム
参考文献
クィア・アクティビズム ― はじめて学ぶ <クィア・スタディーズ> のために
LGBT を読みとく ― クィア・スタディーズ入門