評価するという営みとその被評価者の未来の被評価への影響
ある時点の評価は「被評価者の未来の被評価の期待値」につながってしまう 言い換えれば未来の被評価の確率分布を動かしてしまう
その責任をどう考えるか
責任あり・なし、どちらに振り切ってもだめなので、バランスがとても難しい
学習者中心ということをとことん考えてみると、(ある時点での総括的評価という意味での)成績評価ってほんまにいるんかいな、という気になってくる 成績やGPAは、形成的評価としても使える一方、やっぱり総括的評価として意味をもち、それは「未来の被評価」とそれによる報酬の期待値に影響するので、やっぱりその「評価基準への批判」とか、「成績評価へ合わせるテクニック」的なことが起こる コンテストの審査などにしても同じ
評価は個人間でも個人内でもばらつくに決まってるので、複数の目で評価を受ける、というのが本質的に重要
コンテストでの「合計点」や、教育でのGPAは、便利な指標ではあるが、あくまで代表値
個別の評価と分布を見るのが大事だが、話題になったり未来の被評価につながるのは前者というジレンマ
こういう「未来の被評価」への影響を与えるのが評価なので、評価者は評価される
評価するということは評価されるということ
…的なことを、M-1 2018の審査に対するごたごたを見ながら考えました